イエローローズオブテキサス

突然話は飛びますが、わたしこのお酒大好きなんです。バーボン、とうもろこしのお酒ですけども。
先日とある路地裏Barをご紹介いただいて、ひとしきりマスターとお話した後この酒の名前を出すと、深夜2時にも関わらず馴染みの酒屋に電話をして、取り寄せてくれました。15年もの。美味でしたね。マスターの心配りも一緒に。

若い頃に当時のメンターに教えてもらって、すっかり好きになってしまったのですが、これがまた、居酒屋は勿論のこと、相当お酒にこだわってるお店にしか置いてありません。簡単に置いてないってのが、またいいです。(笑)

同じメンターに教えてもらった、日本酒の「王紋」という新潟の酒があるんですけど、これもまたおいしいですけど、これもまた置いてないんですね。

最近のですね、ちょっと前に「バイセクシャルライフ」っていう回でお話した「草食系男子」の話につながりますけど、びっくりしたんですけど、お客さんところの若い子で、その子を含めた新人の皆さんの歓迎会みたいな感じだった時に、瓶ビール飲まないんですよ。僕カシスオレンジ、とか言っちゃってね。(笑)

とりあえずビールってのも死語ですけど、へー、今の子ってこうなんだねえなんて見てたら、怒りの空気が私の隣からやってきたんです。そう、20代後半から30歳ぐらいのオンナノコ連中からです。(笑)

あれ確か3年ぐらい前だったと思いますけど、今草食とか肉食とか言ってるけど、当時からもう兆しがあったんですね。今思えば、ですけど。

酒もたばこも、まあ今でもコミニュケーションツールとしては有効だと思いますけど、決定的な影響力というのは無くなってきてますよね。

マッチメーカーの話で、1回の酒は30回のコーヒーに匹敵する、という話を書きましたけど、1回の酒の場を持つことがとても困難になってきています。特に公人との場ですね。民間でも経費が簡単に落とせなくなったりして、とりあえず飲んで仕事取ってこい、みたいなことは、難しいご時世です。

公人だと、個別に便宜を図っているのではないか、とかうるさいですからね。M党のみなさんのチェックが。(笑)下手したら共倒れでリスキーですから、サケオンナゴルフマージャンみたいなことは、今はないですよね。
だからまあ、「僕カシスオレンジ」でも生きていける可能性もあるんですけど、どうなんですかねえ。

お酒が飲めるかどうか、はここで考え続けている本質(民主主義的自立の達成)とは全く関係ない、ともいえるし、ま少しは関係ある、ともいえます。必要条件ではなくて、十分条件っていう感じでしょうかね。

オミズマインドとしては、相手に合わせる、が命題ですから、呼吸も合わせるのだけど、勿論飲み物だって飲み方だって飲むペースだって合わせちゃう。実はこれが、相互理解の場を深めるのには、大事なファクターになっている気がします。

お酒が飲めないけど、30回コーヒー飲んでなんとかしますって場合はいいですけど、おそらくこれはないと思うんですよ。お酒は飲まないし、飲んでもカシスオレンジしか飲みませんっていう人は、きっとコーヒー飲むときだって、僕はカフェオレで、とか言っちゃうんでしょう。(笑)

そうして孤立する。

お酒を飲め、とかコーヒー飲め、ということではなくて、それはあくまで場と時間を共有して、鏡のように同じモノを食べ、同じものを飲み、呼吸を合わせ、場を共有する、ということなんだと思うんですけどね。

そんなことを、イエローローズオブテキサスを飲みながら、Barのマスターと話してたのですが、だから仕事を離れたら好きなもん飲めよ、で、路地裏Barは、存続できるのです。そういう店が残っていかなくなると困るので、説教じみているのです。(笑)