そして向き合うもの

訳が分かったようなわかんないような文章が続いてますね。すいません。

調子に乗りました。(よくメンターに叱られます。特にオンナノコメンター)オンナノコの「調子に乗ってる奴レーダー」って凄いんですよね。いつも尊敬します。その感度に。

さて、それで「向き合うことができないもの」として「自己」「他人」「都市」「社会」と書いて、では向き合うものはなんですかっていうことで、「上位世代フェチ深耕」「刺激バランス」の回まで、話は戻ります。

つまり刺激図の、「息遣いを持って語られるもの」の4面の範囲が「付き合うもの」で、その外側、つまり文字に書かれた歴史や英知、先のヴィジョンといったものとは「向き合うもの」なんですかね。

それらは、既に走り終えたり、走る先で待っているものですからね。

日々果敢に仕事に、かっこいい言葉でいうとイノベーション(しないと零細企業なんで吹けば飛びますから(笑))しながら、どこまで、壮大な「文字の英知」に向き合えるのか、微妙なところですが、思い立ったら即行動、足場固めしたところで、早速今日から少しずつ着手したいと思っています。

何を読むか、はここでは言及しません。単純に恥ずかしい、ということもありますが、あらぬ偏見を招くこともあるので。壮大な知の体系、皆さんも良く知っている、あの名著、です。学生の時読み通しましたけど、なんだかよくわかったような、わからなかったような、ものです。

それで、上位世代フェチとして、民主主義者として、上位世代は現場から離れていくわ、加えてどんどん荒廃していく現世を堂々と生き抜いていくためのヒントに数々出会えますか、どうか。隣の人と手を取り合い、肩を貸しあう知性を、身につけられますか、どうか。

それは、その壮大な知、に向き合ってみないとよく分かりませんけどね。

いずれにせよ、深呼吸をして、新しい水の入った洗面器の前に立っている(洗面器の話は、どこに書いたか忘れました)状態ですかね。

私的な話ですが、今日は実母の命日なんですね。亡くなってから一年がとても長く感じました。とりあえず「喪中」が今日で終わるのですが、喪中の終わりに新たな洗面器が登場する、わたし宗教的節度(http://d.hatena.ne.jp/fraflo/20081104)を重んじる人間ですから、それは決して偶然ではない、と思うことにして(笑)、事にあたることにします。

わたしの言葉で言いますと、何かに付き合う時向き合う時に大事な「バカ前向きソリューション」です。