あいまいな回路

何回か前に書きました「自分がよく分からない」を放置して生きる、の件をもう少し具体的に説明していただきたい、という声がありましたので、今日はそれについて、もう少し書いてみます。

突然ですけど、人間が主体的に行動するのに「5ション」という要素があることを、昔誰かに教わりました。
5ションは、5つの「ション」ということですけど

mission(使命)
vison(夢や理想)
passion(情熱)
decision(決断)
action(行動)

ということになっています。これが垂直に回路で繋がっていると、よい、と。

つまり、何か情報が入ってから、決断と行動にいくまでに「使命」「夢」といったものが明確にあって、それに傾ける「情熱」もあって、だから回路がピピピっと働いて、決断と行動のスピードは上がる、っていうメカニズム。

そりゃ理屈は分かりますけどね。なんでも明確で分かりやすきゃいいのですかね?、と思います。

「使命」って、命を使う、ですから非常に重い言葉ですけど、例えばなんでしょう。わたし子供がいるので「子供を守る」に設定するとします。

子供を守る、を使命にすると、その方向にビジョンを作って、情熱を傾けて、それに沿った決断と行動をしていればいいんですけど、その明確さで決断行動するとロクなことがないと思いますね。「だから3歳の子供を受験地獄に引き込む」「だから通学路で何があるか心配なので車で毎日送り迎えする」とかね。(笑)

それで結果どうなるでしょう。例えば、それでも子供を守ることが出来なかった時の「罪悪感」はどれほどか。子供を守り通して成人させたけど、子供から相手にされなくなってしまった「喪失感」(なんでここまで手をかけて育てたのに、という親の身勝手な思い)はどこで悪意になって飛び散るか、などなど。性能の良すぎる回路は、ちょっとしたことでフラッと倒れちゃったり人に迷惑をかけたり、するでしょ。

ですから、もし使命にするとしても「子供(も)守る」ぐらいでの曖昧さで、ちょうどいいんだと思うんですよ。

わたしは、「使命」や「夢」というのは非常に曖昧です。言葉ではとても言い表せない、抽象画のようなイメージとして身体を「あいまい」に支配しています。

「根がオミズ」とか、「自分がよくわからない」というのは、その「あいまいさ」のことを指してます。

夢がない、とか、目標がない、とか、やりがいがない、とか、皆さん明確な形のはっきりしたものを求めますよね。でもそれって、さっきの子供の話のように、あまりいい結果は導かないように思うんですね。

そんなの曖昧でいいから、3番目の「情熱」の部分で、つまり明るさとか元気のよさとか楽しさとか、そういったエネルギーを駆使して上位回路のあいまいさを明確さに変換して下位の回路(決断と行動)につなげればよい。

つまり、イチイチ悩まないで、明るく楽しく毎日やったら?というシンプルさでよい、ということですね。

これが正しいとは限りませんけどね。わたし凡人なので、これを言葉で表現できるまでにたどり着くまでに30歳越えちゃいましたけど(笑)、中には天才的な「根がオミズ」の方々がいて、若くてもすぐ出来るん人がいらっしゃるんですね。特に女の子に多いですけど。

年齢関係なく、先天的であれ後天的であれ、そういう根がオミズの人たちと場を共有して、癒されあい、刺激されあってると幸せですね。

で、最後に付け加えますと、じゃあ「根がオミズ」のmissionやvisionはいつまで曖昧なんでしょう?

明確になるのかどうか、よく分かりませんし、どっちでもいいんです。その抽象イメージがくっきりしてくるかどうかは自然に任せて、それを楽しむ。楽しむは前向きさで、だからしぶとく生きてる(笑)っていうことでもあるかもしれません。

こんなんで、ご説明に足る内容でしょうか。。。。(不安ですが)