プカプカ

メッセージソングの直接的な表現の分かり易さはイヤだわ、ということを先回書いたのですが、意味はあるけど、正反対の表現の歌詞って何だろうなあと思って、例えばこれとか、どうですかね。

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1) 俺のあん娘(コ)は たばこが好きで
  いつも プカプカプカ
  身体(カラダ)に悪いから 止(ヤ)めなって言っても
  いつも プカプカプカ
  遠い空から 降ってくるっていう
  幸せってやつが あたいにわかるまで
  あたい たばこ 止めないわ プカプカプカプカプカ

(2) 俺のあん娘(コ)は スウィングが好きで
  いつも ドゥビドゥビドゥ
  下手くそな歌は 止(ヤ)めなって言っても
  いつも ドゥビドゥビドゥ
  あんたが あたいの どうでもいい歌を
  涙流して わかってくれるまで
  あたい 歌は 止めないわ ドゥドゥビドゥビドゥビドゥ

3) 俺のあん娘(コ)は おとこが好きで
  いつも ムーーーーーー
  俺のことなんか ほったらかして
  いつも ムーーーーーー
  あんたが あたいの 寝た男たちと
  夜が 明けるまで お酒飲めるまで
  あたい おとこ 止めないわ ムーーーーーーーー

(4) 俺のあん娘(コ)は 占いが好きで
  トランプ スタスタスタ
  よしなっていうのに おいらを占う
  おいら あした死ぬそうな
  あたいの 占いが ピタリと当たるまで
  あんたと あたいの 死ねるときがわかるまで
  あたい 占い 止めないわ トランプ スタスタスタ

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西岡恭蔵とか高田渡など、過去にエントリを書いてますけど(http://d.hatena.ne.jp/fraflo/20050425)、改めて「プカプカ」の歌詞を読んでみると、時代背景とか理屈を飛び越えて、表現がスッと入ってくるなあと、個人的には思うのですけど、調べるとカバーしてる歌手、多いんですね。評価されるのは分かります。

直接にせよ婉曲にせよ、表現も「敢えて」が入れば「科学」ですね。事前にどうやれば多くの人に買ってもらえるか、を意識した時点で表現ではなくてマーケティング、作品でなくて商品、なわけですけど。

過去存在したメッセージソングは、きっと「科学ではない」人もいたと思うし、「科学だった」人もいるでしょう。「科学ではない」で直接的なメッセージを露呈していた人は、あまりに傷つきやすい表現を多勢にされけだしたために、招いてしまった状況に引き裂かれて、廃業したり、薬に手を出したり、それが自殺という結果を招いたり、したんじゃないかと思います。

「知らない間に実は相手を追い込んでいる」というに気づく能力は、残念ながら実は多くの人の感受性には宿っていないので、特に期待に全て応えようと思う人ほど、何気ないことに追い詰められます。それは歌い手に対するファンにだって、同じことなんじゃないでしょうか。殺したのはわたしだ、と思う節度のあるファンはどれだけいるのでしょう。

だから以前お話した、相手に対して「崇拝」や「嫌悪」ではなく「尊敬」の距離を保つ努力は、相手への優しさでもあると思いますけど、逆に「崇拝」の距離に耐え続けられているとしたら、それは「科学」に裏づけられた、戦略的に「崇拝」されることを狙った人、なんでしょうかね。

狙って「教祖」になるってのも大したもんだと思いますし、図らずも「崇拝」対象となってしまった人の心労も、お察しするばかりです。

近頃の歌では、ヒット曲の科学分析を全くしてませんが、ちょっと前の、スマップの「世界でひとつだけの花」とか、そのナイーヴさを直接捉えたらまずいだろって歌詞を、直接捉えちゃって、みんなでオンリーワン気取りで自分を慰めて、とか、音楽の話じゃないですけど、なんとか菌がどこどこから混入して、食べるものがない、みたいな、免疫がどんどん落ちて、社会はどんどんナイーヴになっていくように思います。

プカプカでも、ドゥビドゥビでも、ムーーーでも、しずらいナイーブ社会に、またこの唄を改めて聴いてみると、映えますね。男の弱さを唄っている点では直接的メッセージソングと同じですけど、どこか力強い。

非ナイーヴ、だけど綿密(繊細)なものが、好きなんですね。またややこしい話でした。