25年後の「楽しくなければテレビじゃない」

「楽しくなければテレビじゃない」は1981年のフジテレビの企業スローガンです。


昨日は早めに帰ったので、テレビをつけて、酒飲みながらお金の話を書いていたのですが、テレビから流れていたのはフジテレビの「爆笑レッドカーペット」というお笑い番組でした。

初めてマジマジとみたんですけど、見ていて笑えず、息が詰まりそう。(笑)雑誌のテレビ批評なんかで「ショーケース化されるお笑い」とか「似たり寄ったりの番組ばかり」とか批判を受けている記事を読んだことはありますけど、そういうことではなくて、なんかこう、辛い。

昔、高速漫才とかいってB&Bとかツービートとか出てきたときは、きっと「速い」は芸で「新しさ」であったと思うんですけど、今芸人に求められている「スピード」は何らか必要性にかられたもので、余裕のなさ(勿論テレビ局の先行き不安から連鎖するものでしょうけど)の表れですね。

相手の顔を見ずに、自分の言いたいことだけワーっと言って終わっちゃう外資系やベンチャー系のイケイケのニイちゃんネエちゃんプレゼンテーション、みたいなのと同じ辛さでしょうか。(笑 私ダメなんですけど)

スピードの中にも実は「間」が存在すると言っていたのは、確か島田紳助だと思いますけど、だからそのスピードは「芸」です。でも若手はそこまで意識レベルを上げてテレビに出ているわけではないですからね。


顔は笑っているけど、手は震えている。
余裕の表情を浮かべながら、足は貧乏ゆすり。


「無理」というのは、例えばそういう状態を言うんだと思うけど、それに近い感じがあるんですね。

昨日の企業のお金の話にこれは繋がるのですが、企業が経営者の虚栄心、ステークフォルダを一時的に安心させるための銀行頼りの資金調達は、後でジワジワ効いてきて、結果的に資金繰りが原因で現場を汲々とさせます。そこでは、あたかもレッドカーペットの芸人のように、やみくもにネタを詰め込むといった状況と同じような感じに現場が知らぬうちに追い込まれて仕事を取り巻く環境に悪意が循環します。昨今の中小企業ではよくある光景です。

先(ビジョンと軸)を達成するためであればがんばれるけど、潰れないために、どうやって資金繰りするかで頭がいっぱいで仕事してたら、その場凌ぎで先のことは考えられなくなる。短期的なことにしか、意識が向かず、ビジョンと軸は宙に浮く。スパイラルです。
時間を削ってここにこうやって丹念に文章を起こすのは、何より宙に浮かせない(忘れない)ためってのも大きいですね。

これは実話で知り合いの話ですけど、2代目社長に指名約束されて、引継ぎしてたら、今まで決算書の表面的な読みでは読みきれなかった負債がわんさか出てきた。これなんですかって初代に問合せたら、でもそれでキミらいい生活してきたじゃんって。(笑)
だから多くの中小企業は、世代交代ができないってお悩みで、人材がいないとか表では言ってますけど、実は社長が胸張って会社を引き継げないだけだったりも多いですよきっと。(笑)

逆に言うと無借金経営者のもうひとつエラいところは、「いつでも誰かに会社を引き継げる」状況にしておく、ということも視野に入れて活動している、ということです。つまり視野が広く遠い。
大企業は「長期政権は悪」で、短期的に交代するところが多いですけど、この循環はとてもいいんですね。部活と一緒です。好循環システム。

最近グーグルが、過剰な福利厚生を廃止し始めてるって話があって、一時期ほどの勢いもなくなっててトラブルも増え、株価もエライ勢いで落ちているという話がありますけど、それは「だからもうだめだ」じゃなくて、「普通に戻った」ですよね。(笑)トラブルの本質を追求していったら、そういうところに落ち着いたということで、別に業績が悪くなったからってことじゃなくて、自分の美意識で、会社の中に渦巻くハレの雰囲気を正常に戻そうとする経営者の冷静さって、私は正しいと思いますけど。俯瞰の視座、と見ますが。

それで離れていく優秀な人もたくさんいるみたいですけど、それでいいと思いますよ。
過剰な演出の部分をそぎ落とした後の、グーグルの本質的な在りかた、ビジョンに賛同する人だけが残ればいい。シンプルになるわけですけど。

レッドカーペットの感じって、昔コンパする学生の男女が無理やりテンション上げて「ハレ」の場が強要される、あの感じに近いな、と。
わたしはクール装って攻撃してました。半分嫉妬だったかもしれないですけど(笑)、若気の至りですかね。

暇は悪、「間」は許さない。とにかく「楽しくなければ、コンパじゃない」の情景は、でも嫌でした。「ハレ」をそもそも信用してない。一時的とか長く続かないとか、そういうものに拒否反応がある。(笑)ポストバブル世代の一部の特徴ですかねえ。

「楽しくなければテレビじゃない」を25年前にうたったテレビが目指したビジョンやあり方は、結局何だったんだろう?とレッドカーペットを見てて思いました。
今テレビ凋落風潮から出てる話で、一説には1972年の「浅間山荘立て篭もり」がテレビのピークだったいう人がいますけど、それを採用するとすれば、83年当時でさえ、あと出来ること何もないし「どうしよっか?」の退廃的な段階だったとも言えますよね。だからすでにテレビ=コンパだったかもしれないですね。(笑)25年続いたコンパ。そう思うとちょっと怖い。

しかし、なぜ司会席に「高橋克実」がいるんだろう?と思っていたら、そっか、この人の存在(っつーか顔)そのものが唯一この番組の「間」なんだなと気づいたのでした。

調べると、俳優以外の仕事の初出は「トリビアの泉」ではないですか。日本の「間」芸の第一人者、タモリの番組ですね。なるほどお。