リセットとチェンジ

カリスマ読モ(読者モデル)夫婦の記事をAERAで読みました。
「ギャル男」と「ギャル」の夫婦は、どっちも小さい頃いじめられっこで虐げられできて、「自分を変えたい」がエネルギーとなってカリスマモデルまできたそうです。

二人とも25歳前後で、だいぶその界隈では有名人だそうですが、2人について書かれた文面から伝わってくる力の抜け方というか素直さというか、過剰に無理してないリアリティを持つ感じに、ホテッとします。(笑)

「自分を変えたい」自己変革能力って大切なエネルギーで、人間は、コンプレックスがないと伸びないとか言われますけど、ほんとに大事なのは「どう変わるか」なんですよね。元々マイナスの自分から入って変化してるから「読者モデル」なんでしょうけど、その「ホテ」の感じがカリスマになる所以でしょうし、「ホテ」がカリスマになるのが「時代」であると思うわけですけど。

そこで「チェンジ」と「リセット」ですが。

巷の広告によく出る「あなたは変わる」は、ほとんど「リセット」を意味します。今までをゼロにして、あなたは「別の人」になる、です。それで消費を刺激するのが、企業社会のやり方だったし、消費文化の真髄でした。
そのAERAの巻頭特集は、「雅子様」特集でした。精神疾患でご静養中の雅子様、それについて座談する蓮舫香山リカっていう(笑)感じでしたけど、読んでいて、痛ましい。。

私は前に書いた「遅れてきたバブラー」に同じ「痛ましさ」を感じていたんですけど、「雅子様」一連記事と蓮舫香山リカの物言い。「読モギャルとギャル男夫婦」記事。その「皇太子妃」と「ギャル」のコントラストで痛ましさの意味がはっきりしちゃいました。

雅子様は、「リセット」(離婚)しないと病気が治らない、なんですよ。結論は。
なぜなら、「チェンジ」するには、邪魔な自我が多すぎるんです。
でも皇室だから、簡単にリセットできない。じゃあどうしたらいいですかね?が話の本筋でした。

その読モ記事を書いたのは、速水由紀子って元宮台真司の奥さんのフリーライターです。彼女も雅子様世代近辺だと思いますけど、彼女が最後に書くのは「雅子様世代への応援」です。あなたたちは、このギャルの実存を簡単に小ばかにしちゃいけないわ、と。
それはあたかも、宮台が売春する90年代中盤女子高生のリアルを伝えたときと似た戦略、立ち位置ですけどね。(笑)(あ、その「ギャル」も宮台が擁護した女子高生世代に被るのかしら。)

だから私が受ける情報は、そういう意味でデフォルメされている部分も多々あるかもしれないですけど、この若夫婦に「ホテッ」とするのは、本質的に「変わる」が「チェンジ」だからだと思うんですよ。変わる前の自分を否定していない。メディアを参考にはすれど、鵜呑みにはしないエディット感覚。自分のリアリティをちゃんと認識して、コツコツと変わる努力をしてきてっていう感じです。それが今のリアルで、この娘たちに何かを学ぶべきよ、と速水は言います。

AERAってここ最近は、「雅子様世代=男女雇用機会均等でがんばった女史たち」への応援雑誌の色が強いように思います。リセット文化の先鋭世代と等身大チェンジ推奨世代に挟まれてますから、わたしはどっちの感じも感覚的には分かるっちゃあ分かります。(だから記事はトータルでおもしろく読んだんですけど)

実体験ですけど、リスペクトしている20代中盤のある女の子から「無理をしないで」という叱責を受けたことがあって、じゃあどうすればいいでしょうと素直に聞いて、自己変革した経験があるんです。同じ時期にバブル世代の上司からも「無理すんな」と言われたんですけど、無理すんなの質が違うと思って、そちらは楽そうでしたけど不採用にしました。(笑)

言葉でうまく説明できないんですけど、私はバブル世代の「無理すんな」は聞き流して、正解だったと思いますよ。女の子の辛らつな助言を聞き流して上司に従っていたら、大変でしたね。きっと。本能的な生存戦略ですかね。皮膚感覚。

「過去の連続的な自分を否定しないで、かつ、他人のフィードバックを素直に多く聞き入れて、自分変革を怠らない」という「チェンジ」は簡単でシンプルだけに強い。歳を取ればそれだけ、その強さを持っているかいないか、は肝になるような気がします。

AERAで励まされている「雅子様世代」の人たち(がもしいるとすれば)、「無理の仕方を間違えないで素直さを持って」という「ギャル」の言葉は、どう届くんでしょうかねえ。まあそんなメッセージを発しないといけないほと、その人々に世代的危機が訪れている、ということだし、それを高みの見物で後発世代が見ているようでは、同じ穴のムジナです。だって時代は「リセット」は決してしない。徐々に「チェンジ」するのみ、ですもんね。


バブルから不況は、チェンジ(地続き)じゃなくてリセット(断絶)にしておきたい、というのが「痛ましさ」の本質なんでしょうかね。