ビハインド ザ ばぶる

前々エントリの「小悪魔の系譜学」で考察した「小悪魔文化」について、ダラリさんがリアルを深めてくれていますが(http://ameblo.jp/dararhythm/)、小悪魔が「小悪魔」として社会を浮遊できる状況について、ちょいと実体験で思うことがありましたので逆インスパイアで日曜の夜中に考えてみました。

私たち世代の上司やお客さんのメイン層は「バブル世代」近辺が多いわけですけど、それ起因で心身を病んじゃうといった同世代も正直言うと多いように感じます。(世代でざっくり括っちゃって申し訳ないんですけど)
それで、いろんな人から相談受けたりして、その同時代人たちの目の前にいるバブル世代の「悪の根源」はなんだろう?と相談受ける度に、しばらく考えてました。

私は、IT業界にしばらく身を置いていました。今も片足は突っ込んでいますが、この業界、私たち世代を社会に吸収するのにとても重要な役割を担った業界でした。(だって就職氷河期で、どうしようもなかったから)そんな業界のバブル(ITバブル)も崩壊してしばらくたちますけど、私、IT業界の「バブル世代」って、「遅れてきたバブラー」と呼称したいんですけど、正直言うと私には「ズレ」と「違和」を感じます。

私の知り合いの30代後半〜40代中盤の人で、例えば「証券業界のバブル世代」となると、キッチリバブルを謳歌して、「遊ぶべきときに遊んで」います。だから今に無理がないし、ちゃんと大人になっています。(生き残って今でも活き活き生きている人は少数でしょうけれど)

「遅れてきたバブラー」というのは、バブルの時代に「謳歌する権利」はあったのだけど、ダサかった、モテなかった、ディスコに行きたいけど一緒に行ってくれる女の子もいないし、つまりどうやって謳歌していいか分からなかった、など、つまり当時の言葉でいう「ネクラ」のために、当時とても不遇な思いをされた人も多かったと思います。

それを「バブル崩壊ITバブル」と時代は動いてきて、自分の「ネクラ」はそのままでも、仕事のノウハウは自動的に溜まっていって、時間を経て、それなりの地位と名誉と収入と権力が出来て、まわりが持ち上げてくれる40代前後にはなった。つまり、遅れて自分たちが主導権を握る時代がきた、みたいな「ネジレ」を潜在的に持っている人ってどのぐらいいるんだろう?、と思うんです。
同じようなことは「公務員」にも起こってると思います。公務員って若い時薄給だものね。(教員汚職の「金の使い方」見てると「遅れてきたバブル」意識を感じます。)

わたしは「遅れてきたバブラー」が牽引している消費市場って、結構な市場規模で、特に都心では凄いんだ、と思います。これだけ物価が上昇しても、本来「ネクラ」であった「遅れてきたバブラー」は、結婚せず(出来ず)、お金や派手さを媒介にしないと女の子と愛も育めない、という状況があって(我ながらひどい言い方(笑))バブル世代であるが故に、今でも例えば「芸能人」に(「有名性」「特権性」に)弱い、つまり「キラキラ」に弱いんですが(笑)、それは、上述したダラリさんの考察に詳しいところです。「キラキラ」市場(笑)。結構なお金落ちてますよね。ここ。

ちょっと前に出版された宮沢章夫東京大学「80年代地下文化論」講義という本があります。宮沢は、桑原茂一が作った日本発のアンダーグラウンドクラブ「原宿ピテカントロプス」に集まっていた当時「ネアカマイノリティ」の人々と交流してきた立場から「ピテカンとは何だったのか?」を考え、今「ネクラ」が社会を席巻している現代(ヒルズ族、IT長者が牛耳る社会)ってなんだろう?みたいな話をしています。(かなりオモロですよ。この本)

その中で、「WAVE(波)が無くなって「ヒルズ(丘)」が出来た」という名言があって、WAVEというのは六本木にあったWAVEというレコード屋(トーキョーの先鋭文化発信源のひとつでした)が潰れて、六本木ヒルズ(IT長者の城)が出来上がった、という時代の流れを、「ネクラ」の逆襲として捉えてます。(卓見ですね)

私が確か19歳の時まで六本木WAVEは存在してて、私もお世話になっていましたので、ギリギリですけど、宮沢の言わんとしてることは「実体験」として理解できました。WAVEが無くなって、六本木には行かなくなったのは私も確かに事実でしたから。

で、なんでしたっけ?あ、「遅れてきたバブラー」です。

ここから最近の実体験ですけど
「遅れてきたバブラー」にご飯に連れてってもらうと、「青山」「六本木」「西麻布」の隠れ家的お店、あたりになったり、芸能人がいたとかいないとかいうのが今だに評価軸として物凄い話題になったり、わたしたち世代は、そうではない「リアル」で会話を進行したいのだけど、そうは問屋が卸さない、の断絶は、ちょっとやそっとでは埋まらないなあ、と。こちらが下手するとかなり傷つけてしまうモロさを抱えています。「遅れてきたバブラー」。

「遅れてきた」は「先行している」との比較において、決して埋まらない差であって、たぶんずっと「遅れ」が生じる。その「遅れ」のコンプレックスを利用するのが「小悪魔」だとしたら、まあ、世の中うまく出来ている、ということですけどね。

私は「その時代にしか感じれない」ことをちゃんと感じてきた、その時代にしか出来ないことをちゃんとしてきた、つまり年相応に遊ぶべきときにちゃんと遊んでおいた、という人が、バブル崩壊で姿を消したり、自信を無くしたりしちゃった、という「時代の断絶」が、実がバブル世代以降にいい意味でも悪い意味でも大きな影響を及ぼしている、ということを考えます。

だって、各世代は、上の世代の「かっこ良さ」と「かっこ悪さ」を見極めながら世代交代ってのは行われていくのだけど、「あれは継承しなきゃ」みたいなことはそぎ落とされて、「あれってかっこわりぃ」と後発世代が思っているようなことを「遅れてきたバブラー」は、半分あてつけのように(笑)今だに美観として中心に据えている(というか据えざるを得ない)んですよね。リアルで出来なかったことの怨念というか。怖い。。

この後発世代との美観の差異こそ、最初に言った「ズレ」の正体ですね。きっと。そのズレや断絶を理解せずに行こうとするから、心身病むというパターンは、実は同世代に多いかもしれません。半分あてつけですから(時代への恨みですから)悪意の根は深いのですよ。(笑

同じ「バブル世代」(今の言葉で言うと「アラフォー」ですけど)でも
1、世俗的なバブル時代を謳歌しちゃった層
2、謳歌しようと思ったら出来たけど意識的にしなかった層(宮沢章夫とピテカン=マイノリティ)
3、謳歌できなくて悶々としてた層(遅れてきたバブラー=どのぐらいいますか。。)
ということで、今市場を支えるのは、3つのアラフォーだと仮定すれば、私たち後発世代の対応の局面はだいぶかわってきます。

1と2は見えにくい(探しずらい)状況で、3が今まで語ってきた人々ですけど、FRAGMENT FLOORS的に中学ぐらいから2に影響を受けてきたのは間違いがないので、どうしても1、3はやりずらい、というのが正直で、逆に言うと1,3を間に受けてこなかったので、心身を病むことも今のところない、とはいえます。

前から言ってるように、これは「どれが良くて、どれが悪い」という問題ではないです。時代の背景もあるし、結果的にどれがよかったの?は分からないわけで、あくまで「美観」で「イヤかいいか」の問題です。

ただ2は何がいいかというと、時代性とか世代性とか、そういう時間軸と無縁だということはあると思います。Aのメンタリティでいくと、自分を変化させることに特にこだわりはなく、常に常識や自分を疑うから。
そっか、やっぱりそういうことは、ちゃんと中学生から学んでないといけないんだと、今書いていて思いましたけど(笑

人付き合いってのは瞬発力と皮膚感覚的ですけど、「断絶」はリアルであって、じゃあどうすっかね、で私なりのひとつのカテゴライズをしてみました。他の同世代以下の皆さんが今後生きるためのひとつのお役に立てる仮説と指針であるといいですけどね。

アラフォーもそういう意味でも大変よお、と思えば、心も広く大きく持って接することができて、人間関係でチマチマ悩んだり、病気になったり、少なくともしなくて済むと思いますけど。(笑)