グイグイまわるインフォメイション

カラカラまわるインフォメイション、とくれば「カラカラまわらない」インフォメイションって何よ?というお話になります。

「カラカラ」の反対語は「グイグイ」と仮定しました。「カラカラ」とは、つまり前に進まないイメージなので、前に進むイメージで「グイグイ」にしました。(自転車こぐイメージで)

グイグイまわるインフォメイションというのは、私が考えるに、そのインフォメイションに「仮説」が含まれているか、そして「検証する」態度がちゃんと含まれているか、に尽きると思います。つまり、「仮説が見当たらないもの」「既に検証されている、または検証しようとされているものについてのコピーや横槍(検証なんかしたって無駄じゃん的揚げ足取り)」なんかは、「価値がない」と私は見ます。

じゃあ「価値」があるっていうのは、つまり「見たことも聞いたこともない新しい情報」しかないんかい、ということを言っているわけではありません。それは時代的に難しいですからね。世界は同時多発的にいろんなことが起こります。別の場所で同じようなことが考えられていますから。だから「たまたま」聞いてくれている人、観てくれている人、読んでくれている人に対して、何らか感動(心を動かすこと)を与えることが出来れば、それは情報として価値があると思います。

本来情報というのは「情=心」が含まれる言葉ですけど、最終的に、その情報が人の心を動かすことが出来れば、それで目的は達成されるんだと思います。

では「感動する」とはなんでしょう?これも考えてみたことありました。「感動する」って「善」の言葉ですよね。おいしい食べ物を食べる、とかいい音楽を聴くとか、いい映画を観るとか、そういう時に使われます。私は前述で「感動する=人の心を動かす」と書きましたが、心を動かす(泣かす、喜ばせる、楽しませる)では駄目で、心が動いた結果、その人の行動が変わる(アクションが起こる)でないと、感動させたことにはなりません。

つまり、情報を出すことで、誰か(ひとりでも)感動して、誰かの行動が変わる(行動が起きる)その時に初めて、その「情報」の価値が分かる、ってなことですね。
だから価値ある「情報」は常に「善」です。情報をグイグイまわすのは、善意をグイグイまわすのと同意だと思います。

「情報」についてラディカルに考えてみると、インターネットに出回る情報は「カラカラ」が多いですよね。情報を発信する、とはどういうことか?から考えること、常に「何かを前向きに駆動させる」ことを考えることが重要だと思います。

「批判」をするな、とは違います。結果的に、その情報が「前に駆動する」ものであればいいですよね。「善」は「いい子ちゃん」とは違いますから。まっ、本来嫉妬にまみれて人の足を引っ張って、の歴史上に世界は成り立っていて、私の「情報論」はあくまで理想の域は出ないわけですけどね。(笑)特にアカデミック(学問)の世界では、「嫉妬」がひどいと言いますし。

ビジネスは「競争」から「共生」へ、それはそうしないと生きていけないからそうするんですけど、果たして情報の世界ってのは、どこに向かっていくんでしょう?

考えたら、キリがありません。

ただひとついえるのは、「見えにくく」「わかりにくい」社会、つまり混線していて、こんがらがっているところから「突き抜ける」ことを意識しないと、いけないかなと。「ぐいぐい」仮説は、そんなところが基点になっています。「突き抜ける」は上(格差の上)だけを意味する言葉ではありません。横でも下でも奥でも、どこでもいいわけですけどね。(笑)難儀で面白い世相でございます。