7つの習慣より亀の甲羅

啓発書とか、なんたらハウツー本(特に命令形の題名のやつ)っていうのは、フロア認定していないので、ほとんど読むことはないんですね。毛嫌いも特にしてないんですけど、食指が伸びない。感覚的なものですね。

ちなみにハウツーをそのままへへーっと受け取ったのは、中高生の時に、幼馴染の部屋に山積みされていた「スコラ」で、セックスの手ほどきはだいぶ受けました。(笑)それ以前も、それ以降も、ハウツー活字に習ったことはないかもしれません。

で、「あなたを変える七つの習慣」とか、そういった自己啓発本て、よく新聞の下段に広告が載っているのがありますよね。

先日ちょっとレビューした「夢を見るゾウ」も一緒ですけど、習慣化せえ、というメッセージは、いろんなところで見かけます。知り合いの経営コンサルタントなんかも、中小企業のオッサン相手に「習慣化」の重要性を説きます。

習慣化って、なんなんでしょうね。

ドラゴンボールでわたしら育った世代ですけどね。

孫悟空は、亀仙人の弟子になってクリリンと一緒に修行に励むわけですが、修行の最初の指令は大きな亀の甲羅を背負ってただ生活しろ、だったですかね。天下一武道会が始まるときに甲羅をはずしたら、身体能力がとんでもなく上がっていて、びっくりするという。

習慣化って、その亀の甲羅のことですね。

習慣にできることって「手がこんでいること」では出来ないんですよね。だからちょっとしたこと、じゃないといけません。亀の甲羅は、背負うだけなんで1アクションですから、出来ます。それで生活してみろ、から始まって、走ってみろ、飛んでみろ、とやっていくうちに、自然に出来るようになっていく。

その亀の甲羅を外したときの感動って筆舌に尽くし難いものがあると思うんですけど、私、社会人になってからいろんなことが「足りない」と感じてて、人からフィードバックを受けて、習慣化してきたことが結構あるんですよ。フィードバックしてくれた人々は、みんなわたしにとってはメンターですけどね。勿論年下の女の子もその中にはいますけど、年下の女の子の場合は自分はできないけど、あんたオトナで立場があるんだからそれぐらいできるでしょって言い方されますけど(笑)、素直に「そうだよね」って聞きます。

その習慣化したものは、今の私にとっては普通のことでも、意識して習慣化して無意識化していない人にとっては凄いことだったりして、感動されたりします。そんな大層なことじゃないですよ。例えば「いつも朝同じ時間に同じテンションでそこにいることを心がける」とか(笑)、そういう簡単そうで難しそうなこと、難しそうで簡単なこと、ばかりですかね。

孫悟空の感動にはとても適わないかもしれませんけど、そう感動される場面に出くわすたびに、そのドラゴンボールの場面を思い出すんですよね。

ここにもよく「メンター」って言葉が出てきますが、要は師匠、のことですけど、亀仙人って結構よいメンターだと思うんですよね。別にメンターは完璧である必要はない(というか逆に完璧でないほうがよい)わけですが「何だかよくわからないけど、すごい」という、まさにメンターのあるべき姿です。

なんかガキの頃、その天下一武道会の前後で言うと、前の方が好きだったんですけど、その師弟関係とか何だかよく分からないけど成長していく過程が、なんとなくピンときたところがあったのかもしれませんね。

ついでに書いておくと、「西洋」と「東洋」っていう対比で鳥山明さんを考えたことがあったんですよね。昔。西洋は「分かり易さ」で東洋は「分かりにくさ」だとわたしは考えていてですね。医学なんかそうですけど、西洋は体系化合理化の道を歩むのに対して、東洋は「なんだかよくわからない」ことをそのままにする。つまり、「何だかよく分からないけど凄い」というメンターの概念って東洋的なんですよね。

鳥山明は、最初「Drスランプアラレちゃん」を書きますけど、これは主人公の設定がロボットなんですよね。つまり西洋的。西洋的なものをファンタジーにのっけて漫画のストーリーを組み立てていったんですね。

次に出した「ドラゴンボール」は主人公の設定が宇宙人ですよね。サイヤ人。つまり東洋的。場面設定も、中国(みたいなとこ)だったですしね。

東洋的に「なんだかよくわからない」を基本設定にしておくと、展開も自由だし、物語も多く作れるし、何より読み手のワクワクさせ続けることが出来たり、鳥山明は、そこに気づいたんじゃないかな?と昔思ったんですけど、設定もそうですけど、亀仙人との師弟関係とか、深いなあっていまさらながらに思って、制作の裏側っていうか、制作の動機がとても知りたくなってきました。(笑)ドラゴンボールのアイデアの源泉はどこにあったんでしょう?(知ってる人教えてください)

つまり今日はですね、あなたを変える7つの習慣を読んで、具体的に習慣化することについて教わるよりも、ドラゴンボールの初期を読んで「習慣化そのものの原理と習慣化されたことによる感動」について学ぶほうが、実利があるんじゃないすかね、ってそういうお話でした。