別れ方がわかりません

オミズの特徴であるのか分かりませんが、人との「別れ方」が下手ですね。ドラマとか小説とかであるような、かっこの良い別れ方って現実にはあるんでしょうかね。かっこいい別れ方の出来る人に教えてもらいたいもんです。

かっこいい別れ方があれば、かっこ悪い別れ方がありますね。相手の服を引きずって「行かないでぇ」という。そういう別れ方しか出来ない、ということではありませんよ。相手が線を引くのであれば素直に応じますが、「いつが別れか」という線を自分から引く、というのが苦手なんですね。

「男女の別れ」だけではなくて、例えば誰かと会食をします。1軒目が終わり、あー楽しかったしおいしかったね、です。2軒目いきましょう、となります。オミズとしては、一軒目で「じゃあ」と別れの線を引かれてしまう場合は、反省しないといけませんが(笑)、大概2軒目いきますね。相手がオミズだった場合は、物理的に線が引かれる(電車がない、とか次の日の仕事が始まるまで、とか)まで会食は続きます。お互いに線が引けないから、ですね。

なんで線が引けないか、私のオミズメンターは「名残惜しい」のである、と言ってます。「名残惜しい」、風情のある日本語ですね。

何で名残惜しいかというのを説明すると長いですけど、それは単純に括ると「一期一会」ですね。根がオミズで、常に移り変わる自分を受け入れるということを書いてきましたが、それは「相手」も「相手との場」も同じことです。ですから、その瞬間を掴み損ねると二度とは体験できないし、だから至宝のごとく大切にし続けたいので「名残惜しい」なんですかね。

わたしって転校生で、持論ですけど転校生は別れの後にやってくる現実(自分がそこに居ようが居まいが、日常はただ普通に流れる)にとてもクールに対応できます。そんなのみんなどこかで経験するじゃん、という声が聞こえてきますが「みんな一緒に別れる(卒業など)」と「自分ひとりだけ別れる」は全く違うし、その現実と向き合う年齢が小さければ小さいほど、傷が深い。(笑

例えば幼児が鏡に映る自分を「わたし」と認識する絶望というのがあって、その絶望を認識するのが1歳なのか7歳なのか、で傷の深さが違うのと同じですね。だからって一生鏡と無縁で生きるわけにいかないのと同じで、別れの後の現実も、だったら早めに経験しといたほうがいい、と思いますけどね。

クールさを知るが故に、その場を大切にする「一期一会」となるんですけど、名残惜しい、別れ難い、は行き過ぎかもしれません。ですから「別れ方教えてください」となるのですが。

「変わらないわねえ」という言葉があります。「根がオミズ」では「変わらない」事はあり得ないんですが、オミズ的な「変わらないわねえ」はどういう意味かと申しますと、その人と前に会った時と同じ状態で振舞ってくれていることを褒めてもらっている、となります。つまり前に会った時のことを記憶していて、次お会いした時も同じように振舞える。名前を覚えている、というのと同じ「礼儀」です。

なんでそういうことするかというと、自分が場からいない間のクールな現実を見る絶望を、なるべく相手に体験して欲しくないからですね。小さい頃に体験していれば、なおさら相手にそういう想像力が働くんだと思いますよ。だからいつ誰に会ったとしても「あなたを待ってたわ」と身体でシグナルを送る。「待ってたわ」は「前会った時の状態のまま」に近い身体でいることですけども、そのままずっといるわけにいかないしあり得ないので、瞬間解凍で「再現」すると。

ですから、「変わっちゃったわね」といわれたら、それはオミズとしては、上述の一軒目でさよならしたのと同じで、反省会ですね。(笑)

「一期一会」の、その瞬間を自分の身体に記憶させておいて、すぐに引っ張り出して、いつでも相手に不憫な思いをさせないこと。そう思うと、「名残惜しい」や「別れ難い」は、身体にその時の状態を出来るだけ正確に覚えさせるための無意識の準備、なのかもしれません。

相手のために、相手を覚えることは勿論、併せて自分の状態を記憶しておく。こうやって毎日書き留める、も同じ原理でしょうか。