ハイ&ロー社会

最近フランスでの暴動騒動とか「下流社会」っていう新書の本が売れていたり、やたら「階層化社会」を考える機会ってのが多いですねえ。
でもよく考えてみたいんですが「非階層化」の社会の歴史ってのは、文明社会が出来てからはそんなに続いてないんじゃないのかな。現代だって、日本ぐらいでしょう。「一億総中流」とか言ってユートピアを目指したのは。それだって「敗戦」っていうこれ以上ないショックがあったからだし。続かないってことは、社会システムとしては「欠陥の多い」ものなんだろうね。そういう社会は。

がんばる人はもっとがんばるし、がんばらない人はずっとがんばらない。山田昌弘先生言うとことの「希望格差」ってやつで、どんどん社会は階層化していく。たぶん僕らの孫ぐらいには、このままいくとガチッと固まるんじゃないかな。階層が。もはや「絶望的」なね。

前に、「中流」ってのは上にも下にもなれる可能性を持ったというだけの中途半端さを放置する層だって言ったけども、まあフランスのように「富」だけじゃなくて「教養」「文化資本」といったもので階層化するっていう「絶望的」な差にまだ日本は完全移行してないので、まだがんばれば「中の上」ぐらいにはいけたりするよね。芸能界風に言うと「横入り自由」ってやつ。

それでも、やみくもに働きゃいいんかっていうことではなくて社会をクールにクレバーに見る視座ってのをどうやって持って自己判断、行動していくかってことに最終的には行き着いちゃう。勿論あらゆるメディアからの情報収集やら分析やらってこともあると思うけども、それよりも、がんばった結果を得るために必要なのは、即物的な視点をやめることだと思うんだよね。それは今が「儲かる」とか「楽しい」とか「苦しい」とか「逃げたい」とか、そういうことね。火の灯った感情だけを前に出して行動しないこと。

なんだかわかんないけど、きっとこれやっとくと先々自分に戻ってくるな。みたいな直感で動くって(僕はいつもそれで生きるけど)、そういうのってやっぱり最終的な自己イメージがあるかないかが大切なんだろうなって思います。

日本は「はかなさ」を美とする民族で、遺伝的に桜の花みたいな人生観を賛美するって感じはきっとあるんだと思うんだけども、もっと長期的な視野で、大きいイメージで、生きるってことを捉える人が特に僕らぐらい以下の世代で増えないと、ほんとに伊勢丹系ヤンエグがイケイケで肩で風切って歩く、センスのない「塩梅の悪い」社会がきちゃうと思うんですけどね。

別に嫌いじゃないです。ヤンエグ系。まわりの友人にもいるし。みんな頭良くて行動的で勇気もあって精力的で前向き。でも、そういう人だけが社会を牛耳るアメリカみたいな品のない社会は、いやだよね。(笑)(下流社会の本見ていると、どうも僕はロハス系に入るような感じだけど)