青春ナルシズム再考

だいぶ遅い情報だったんですけど、なんと今月クラフトワークの公式ライブ映像が発売になるみたいですねえ。いやーこれは家宝だな。買わなきゃ。

クラフトワークというのは、ドイツが産んだ、ビートルズと並んで音楽史に永遠と刻まれるはずのエクスペリメンタルポップミュージシャンですよね。僕、それでドイツまで夫婦で行っちゃったんですけどね。残念ながら、クラフトワーク発祥の地デュッセルドルフには行けなかったので、次回絶対に行くんですけども。

ビートルズの偉大さ、というのはその後の音楽シーンに与えた影響ということが分かってきたときにあらためて気づく、というのはあるじゃないですか。勿論単体として聞いても素晴らしくポップミュージックですけど、あそこのあれ、こっちのあれ、っていう風に、ビートルズを下地としてどれだけの楽しい音楽がその後産まれてきたのか、が分かったときに、更に「おービートルズってすげえ」って思っちゃう。

クラフトワークも一緒で、その後ヒップホップやハウスやテクノや、様々なエレクトロニクスミュージックが出てきますけど、それらを包括する頂点にクラフトワークはいるわけで、そこまでわかって、モア「すげー」となる。

意外に、こういう「数珠つなぎ探求」ってのを出来ない人って多くて、例えば本とかでもね。単発に、これこれって読んでアー面白かった、で終わっちゃう。音楽にしても活字にしても、それ単体から感受する好奇心ってのがあって、じゃあ次はこれだ、次はこれっていう風にモノを追求していく想像力が喚起されないと、やっぱり「深く」なっていかない。

「おたく」みたいな、ひとつの世界にずっぼりと入ってしまうという「深さ」ではないんだよね。ノンジャンル、偏りなく、想像力に任せて吸収していくと、自分の「芯」ができていく、その深さのプロセスは、やっぱり暇な学生のときにやっておいたほうがいい。

前にどこかで「青春ナルシズム」っていうのを書いたことがあって、日本は軍隊教育で生徒の差異を無くして管理する教育体制をしいてきて(今はゆとりだから違うけど)そうすっと「俺は人とは違う」と誰もが思うんだよね。クラスみんなが思ってる。(笑)だからそこからが行動で、じゃあ人と違うとこってどんなとこ?っていう問いから何をするかが大切で、本質を追求することを忘れると、表面的な「差異」にしか、目がいかない。服とか髪型とかステイタスとか香水のランクとか時計、とか。(勿論それも大切だけどね)

何故この文章書いたかっていうと、俺大学生だから「ニーチェ」とか読まないと、みたいなやつが凄くいて、その中途半端さを笑ってた。まあ「ニーチェ」の「二」の字も知ったこっちゃないって人は、それでいいとして。(笑)

で、そういう奴って一応読むんだけど、「読んだ」という事実で終わっちゃう。(笑)そのニーチェが頭おかしくなりながら考えたことが、現代社会のどこにどれだけ影響を与えているか、とか誰それの表現の源はここか、とかそういう「思慮」はしない。っていうことを突っ込んでみただけなんだけども。

「蛙の子は蛙」なので、それは「事実」として認識して、クールな蛙、クレバーな蛙、クリエイティブな蛙、みたいなね。そういう形容詞つけるにはどうしたらいいのか、それを真剣に考えなさいよって、「青春ナルシズム」とはそういうことを言っていて、つまり「断念」から始まる「希望」ってのがあんじゃんって、そう締めたんだけど、結構反響あったな。これは。

でも、今振り返ると説教くさいねえ。20代前半なのに。(笑)
「まったり生きろ(宮台真司)」も時代のキャッチフレーズとして当時あって、生き方のひとつの手だなと思いつつ、なんとなくそうできないなあっていう迷った感じがよく出てるね、(笑)