何故道路標識は「禁止事項」が基本なのか

おお!初コメント!と思いきや大笑いの情報ありがとうございます。
そんなこと知らなかった私に本を手渡してくれた女史とともに大爆笑2005、でした。

愛とか情を語るってのと犯罪ってのは、宗教と犯罪ってのに置き換えられて、昔から「イエスの方舟」とか「愛の教団」とか、最近でもセックス教団でとっつかまったのあったよね。まあ、新興宗教なんてみんな結構スレスレか。(笑 潰される。ここ)

でもこれって情愛だけじゃなくてビジネスでもね。ビジネス道ってのがあって(経営は存続なり。から始まる)それを追求するあまり、潰した競合他社の奴に命は狙われる。ついていけない従業員に訴えられて査察に入られて経営がガタガタになる。近くでもそういうの、いっぱいあって。

自分で原理や真理や哲学ってのを持って、自主自立の道を歩もうとすれば当然ぶつかる壁も半端じゃない。でいろんなことが起こるんで、宗教的になったりするんだよね。(「カルト資本主義」読むべし)

結局自主自立ってのは、逆に言うと自分自身に免罪符をすぐ出せちゃうので、相当第3の目を持たないと、犯罪とか査察とかって話になっちゃう。

最近のここの言動もかなりヤバイスレスレの感じだったけど、はっとした。自主自立、独立独歩の道を歩みたい人は「私はこれに生きる」というものを決めると同時に「私はこれは絶対にやらない」という「禁則事項」を同時に決めなきゃいけないんだよね。じゃないと、複雑な世の中、道の追求のためなら、手段を選ばないということになってしまう。

そういうことをこの情報は改めて教えてくれていますね。

さて、最近盟友がタブラを借りたそうです!うらやましい。タブラというのはインドの打楽器ですが、これがいい音するんだよね。今子供とコンガをたたくのですが(もう子供、太鼓のヘリを使った音が出せます)実はいろんなパーカッションでアンサンブルしたりしたいなと思っていて、タブラも購入候補です。巡礼のビデオ見てると難しそうなんだけど、早速試し打ちといきたいので、すぐ遊びに来るように!(笑)