座標軸

昨日細野晴臣の話をしましたけどね。というか何回もこのエントリーに細野晴臣の話は出てくるんですが、僕が本当に好きになった理由を書きます。

細野晴臣ってのは、今から35年も前から音楽業界に身を置いて、いつも自分の評価基準で音楽を作り、それを商業的な成功に導くこともマニアックに追求もしてきた。つまり倍セクシャル。音楽で生活も成り立たせながら自分のやりたいこともやってきた。「拡散」のお手本のような人物なんです。

そんな「気になる人」を崇拝するきっかけになったのはある講演会だったんです。僕は奥さんと細野晴臣が2時間しゃべりまくる講演会を水天宮まで拝聴しに行って、そこで質問をしたんです。
どんな質問だったか。彼はかなり若い頃に結婚をして一女がいるんですけれども、僕も奥さんの腹の中に長女がいたので、こんな質問をしてみたのです。

「細野さん、あなたには守るべきものがあったにも関わらず、先行きや結果の分からない、つまり家族全員路頭に迷ってしまうかも分からないような仕事の選択をたくさんしてきたと思いますが、それを支えたものは、細野さんが「これさえあれば大丈夫」的に支えとしてきたもの、一言で言うと「座標軸」っていったい何ですか?」

これを聞いたんです。彼から帰ってきた答えは一言でした。

「座標軸、いい言葉ですね。こういう質問を久しぶりに聞けて嬉しいです。僕の座標軸は『万物への愛』です。」

万物への愛、このシンクロニシティにしびれてしまったのです。
ひとつ間違うと「宗教的」なので、言語化すると危ういんですけど。(笑)ちなみに僕は無宗教ってことでひとつ。(笑)

でね、僕はその頃同時期に、ある「経営塾」に通っていて、50過ぎのおっさんばかり、しかも経営者クラスばかりという場に15ヶ月(月1回ペースでね)おかれて、僕が卒業の時に出した信念(自分が大切にすることを一言集約しなさいってやつね。)は

「愛情」

だったんですよ。

それは地球愛、人類愛、家族愛、夫婦愛、親子愛、男女愛、会社愛、顧客愛、何でもそうだけれども理屈やビジネスや、そんな表面的なところでは割り切れないものってたくさんあって、しかもいろんなことが起こって、それをブレないで前向きに生きていくにはこれしかないじゃん!みたいに思っていて、その同時期にこの答えだったので、もう細野さん的に言うと
「頭クラクラみぞおちワクワク」
ってなレベルのシンクロでした。

昨日の「選択消費」の話ではないけれど、脱落してしまう人はやっぱり「面倒くさい」んですよ。リスクをとって選択することも、自分の軸を時間をかけて作っていくことも。
情報が溢れると人間って不安になるしね。どうしていいか分からなくなるし。そこに負けない、それでも「座標軸」を変えない、というのはもうマゾヒスティックにいくしかない。だって脱落したほうが楽だし。多数に混じって生きていけるし。あんまり余計なこと考えなくていいし。

僕は今、家族も入れて命がけで救ってあげたいと思っている奴らが何人かいるけど、それは絶対に守る!そして守るために攻める。変わらないために変わる。
そういったパラドキシカルな言説の中にこそ、現実はあるってことで、やっぱり現実ってのは、人間ってのは複雑なものなんですよ。

あー酔っ払ってる。(笑)