資本家と労働者、ハッカーとホームレス

ここ5年ぐらいの、はっぴいえんど周辺カルチャーの再発掘運動も一区切りついたと思いきや、出ました。細野晴臣ロングインタビュー本「エンドレストーキング」再発。これは古本屋でも全くと言っていいほど置いていなかったので、信者としては(笑)嬉しい限りじゃありませんか。

僕は、新宿に住んでいたころ実は家の裏の北新宿図書館で借りて読んでましたけど、今思えば何故に図書館に置いてあったかなあ、という。(笑)やっぱりあなどれない新宿区。
平凡社ライブラリーから出てるそうなので、これは買い、です。

先週朝日新聞の日曜書評欄を見ていたら、日本のジャズの浸透史と大衆文化の進化史がいかにリンクしているか、という考察をした本をアメリカ人が出したそうで、こちらも興味深々。戦後15年ぐらいは「マンボ」も「サンバ」も「ドゥーワップ」も、要は西洋音楽は全て「ジャズ」という言葉で括っていて、60年代からの安保絡みの学生運動などと連動して起こった前衛芸術(アバンギャルド)運動で、ジャズも地下化、マニアック化してインテリ音楽になっていった。そういう歴史があるんだけど、ジャズと映画、ジャズと演劇、ジャズと街、本当に日本のサブカルの発祥にジャズは無くてはならないものだったと思うので、その辺りがきちんと書かれていればいいなあ、と思ってます。買うの楽しみ。

たださ、こういう本ってほとんど流通しないでしょ?街の本屋ってえらい勢いで潰れるしねえ。まあ、本屋の「経営努力」が足りなかったって言えばそれまでなんだけど、なんかその辺の本屋ってどこも似たりよったりの品揃えでねえ。ほんとに。生きづらいんだよ。(笑)

これは本だけじゃなくて、食べ物だって、服だって、なんだって、どこでも同じようなものが買えるっていうこと、これは戦後日本が抱えてきたひとつの理想(日本列島改造計画ね)なんだろうけどね。なんだかなあ、って落ち込むよね。

僕らの世代ってね、「選択消費」の申し子、でしょ。僕ら以前の今40前後の人達、俗に言うマニュアル世代(デートはここへ行けとかいうノウハウ主義ね)への反動、社会のサブカル化の推進、世代人数の多さ、学校の管理教育の強化、いろいろ理由はあるけど、ファミコンのカセットからTシャツのロゴから、会社も結婚も子育ても、自分で選び取る。この選び取ることを自信を持ってやり続けることが僕らの使命だったりするかもしれないよね。(笑)

選択消費っていうのは、膨大な知識と自分の中の基準を持ってないといけないから、当然脱落者がたっくさん出るよね。つかほぼ脱落していく。例えば90年代前半〜中盤のヒット曲のミリオンセラーの連発とかね。ユニクロカルチャーとかTSUTAYAカルチャーとかね。あれは脱落していった人たちを拾い上げている「適度な選択」場なのですよね。

僕が「東京」という場所にいる理由は、「選択消費」をし続けることが出来るインフラが整っていることと、自分の選択を裏切る偶発の出会いの可能性を「まだ」残しているということにつきるんだけれども、これだけ本屋とかレコード屋とか喫茶店とか個性のある店がつぶれ始めたり、または生存戦略として当たり障りのない品揃えにするしかなくなっていったりしながら、どんどん僕らみたいな人間がストレス溜める社会になっていくのはまあ、仕方がないかもしれないけどなあ、寂しい。

でもね、この間ちょっと大人げなくも選挙結果に怒ったけども、社会の階層化は、余剰をあるところにもの凄く残すので、そういう個性的な品揃えをする場所や、面白いコンセプトやポリシーだけで商売をするっていう採算度外視の道楽商売人ってのは生まれるんだよね。

だけどフランスと一緒でさ。同じ階層に居ないと、そういう店には入れたり出来ないようにおそらくなってんだよ。(笑)だから、やっぱりその準備ってのはちゃんとしてないといけないんだよね。
準備って何かって、ちゃんと自分の基準にそって、選択しておくこと。それを人にちゃんと説明できること、その為の努力を怠らないこと。つまり、「今が楽しければそれでいいや」という刹那主義をやめること、歯を食いしばってやらねばならぬことってのは、まだあるんじゃないかと思うんですけどね。

たぶんね、収入の差、出自の差ってのがあからさまに階層化していくのはもう2,3世代後のことだと思うんだよね。すぐしわ寄せが来るのはね、「文化資本」に差があったり、ことばに21世紀型の知性と教養があるかないか、ってことのほうだよね。
ほら、20世紀の資本家と労働者の関係は、金と女、土地と建物の所有率の差の問題だったけど、21世紀のハッカーとホームレスっていう上下関係は、独自の情報を持つか、情報を持たない、もしくは回転させるだけの存在がどうかだっていう原理を粉川哲夫が80年代から言ってたでしょ。

ほんとにおもろいこと言うんだよな。頭のいい人って。