「昭和の郊外」の恐ろしさと家族唯幻論

夏休み中ずーっと、奥方の実家(都内、閑静な住宅街)にいます。毎日、子供を公園に連れていくわけですが、まあ人っ子ひとりいません。滑り台だって、あまり誰も滑らないものだから、滑りが悪く、滑り台にならない。

都内に、2DKの団地ブームが起こったのは1950年代だったかな。アメリカンライフを前面に押し出し、狭いけどダイニングで椅子に座って!家族揃ってご飯をたべる。お母さんは新品の冷蔵庫から食材を取り出し、ダイニングにはテレビ。家族揃ってテレビを見て、楽しい団欒。昼間は新しい洗濯機で洗濯をしたお母さんが、洗濯物を干しながら、学校に向かって走っていく子供を見送る。そんな映像広告をどこかで資料的に見たことありますね。

今、この場所の団地やハイツ(一戸建ての集まり)に併設して建てられた学校は廃校寸前で、団地の為に作られた小さな商店街は歯抜けで機能していない。なんだか祭りの後のようなアンニュイな空気が漂っていて、でも僕は好きなんだけどね。こういう空気。(笑)

公園から散歩して帰る途中、どの家がどのぐらいの時期に建てられたものかとか大体わかったりするので(ほんと様式の流行って面白い)、まだ言葉さえ片言のよく分かっていない子供に「あれはねえ、玄関のワンポイントのタイル張りからすると大体何年ぐらいかなあ」とか話かけながら(笑)アンニュイな郊外を歩くわけですけど、なんか日本の社会の空気の遍歴をそのまま凝縮したような感じがして、そこにこれからを生きる子供とふたり、こいつ本当にひとりで世知辛い世の中を生きていくんだなあって感じを(笑)、トボトボ歩きながら思ったりします。

都内で最初に造られた団地は「三鷹」の団地だっていう記憶があるのだけど、そういえば行ったことあるな。やっぱりそこも、シーンとしていて商店街は潰れていて、もはや外装さえなおす気力のない建物がずらーっとあって、たまらない感じでした。

でも団地郊外ライフが「夢」や「幻想」であると最初に気づいたのはやっぱりアングラのインテリで、すでに60年代には若松孝二がエロとバイオレンスで団地妻の暗部を描いた映画を撮っていたよね。その後団地っていうのは、例えば裏ビデオなんかの題材にもよく使われたしね。
一般的には、70年代の山田太一の「岸辺のアルバム」あたりが「家族幻想」を打ち砕いたんだっけ?80年代はもう普通にドラマとかで描かれていたような気がする。

なんかくらーい話だな。(笑)

この前も書いたけど幻想を幻想だと信じないように抑圧する(見ないようにする)から崩れるんであって、そういう歴史も分かっていて、夫婦愛も親子愛も家族愛も「永遠」で「無償」でずっとあり続けることなど聖人君子でない以上あり得ない、うちの武士道の奥方もそれを分かっていて、僕も分かっている。(うちの家庭はおかしいとよく言われるけど)

なぜ歴史を学ぶのは大事かって「失敗は2度と繰り返さない」ため、ですよね。

だから、はかないものだと分かっているから、人とのつながりの一瞬を大切にしようっていうことには、みなさんならないんでしょうかね。子供が可愛くない時がある。当たり前なんですよ。人の心はいろいろ動くわけですから。だから可愛いと思うときに思いっきり可愛がってあげればいい。親は2人いるんだからさ。それを二人して無視したり、二人して怒鳴ったり、それが子供を追い詰めてしまう。そのあたりの微妙な夫婦間連携(それは夫婦間の皮膚感覚だけどね)が重要なんですよねえ。子供が大きくなれば、子供にも皮膚感覚が育ってきて、絶妙のバランスが保たれる、家族っていうのは、そういうものではないでしょうかねえ。団地から、難しい話になってしまいましたけど。(笑)

でもね、思うんだけど、やっぱり核家族っていう「閉じた世界」ではこれは限度があるなと思うんだよね。やっぱり空気を抜くことが出来る「第3者」的な人ってのはいないとね。そのために、うちら夫婦は「いつでも遊びにきてくれる」人々との交流を絶やさないわけですけどねえ。どうなることやら。

話を戻すと、「赤線地帯を歩く」っていう本があってですね。昔の遊郭から赤線になって、そのまま廃墟になった場所とか潰れた高度成長期のソープ(当時トルコ風呂)の建物とかも紹介されているんだけども、色気というか、人の活気や夢や挫折や、そういういろいろなものがごちゃごちゃになって漂っている場所の深みってあるんだよね。

そういう場所が好きなのって、これは絶対的なんだ、というものが「幻想」なんだっていうのを目前にすることが出来るからじゃないのかなあ、と思ったりします。

追伸:若松孝二ってリンク張られないのね。ちょっと驚き。日本映画史というか、文化史に残る人なのにねえ。