師と盟友 入りと出

盟友という言葉がありますよね。私の周りにも何人かいます。多分世間では多いほうなんじゃないですかね。

それこそ、価値観がある程度固まってから盟友に出会うというは非常に難しいと思うんですよ。私の盟友というのは、奥さんをはじめとして幼な馴染みとか、やっぱりある一定期間、モノゴトを洞察したり、議論したり、という、まあある意味での「無駄」をどれぐらい行ったか、というようなことがないと、というのはありますよね。その濃密なコミュニケーションの蓄積と追求努力が互いの人生に影響を与えあう。文化人でもスポーツ選手でも、一流の人々には必ずこういった存在があったりして、よく「裏美談」みたいな感じで紹介されていたりしますけれども、これはよくわかるなあ、といつも思うんですよ。それぐらい、やっぱり人生に影響が出ちゃうと思うんです。
あと出てくるのは「師」ですよね。僕は「師」との直接的な出会いというのには自信ないんですけどね。その辺りは運がない。

しかし「盟友」、良い言葉ではないですか。

でも時たまですね、何の偶然か、別の場所で行われていたはずの人生が、話していくとプロセスが非常に似ていて、即座に「合意形成」がなされる、という人に出会うという幸運があるんですよ。これはね、なんとも言い難い喜びがありますね。話をしていても、それこそ子供のように、時間を忘れて様々話してしまうんです。(いつもすいません、とここで謝罪いたします。)

20歳前後の頃は、価値形成もままならないのに、そういった人を一人でも多く集めて何かをしたいという衝動で盟友探しブーム(笑)があったんですよ。出会うたびに違うなあ、と思いながらいろいろな場所を転々とする。そりゃ当たり前なんですけどね。本質を見抜く、自分の本質をズバッと見せる、というような能力がまだないわけですから。

それが出来るようになってきたのは、「言葉」の表現力がついてきてからですよね。20歳ぐらいから膨大なテキストを書いて、自分の歴史観、現在観、未来観みたいなものを飽きずに毎日言語化して客体化して、落ち込んだり自信持ったりしながら、自分のものにしていく、という訓練をして、どんなことについて語っていても、本質がぶれない、という風な言葉を書けるようになったら、それに共鳴してくれる人が、「向こう」からやってきてくれるようになる。

例えばコンピュータという世界は、INPUTとOUTPUTという基本構造があるわけですけど、OUTPUTの部分を蔑ろにしているという場合が非常に多いなと思うんですよ。OUTがないために、INを制限せざるを得ない人も、見ていると多い。

こういったブログなんかもそうだけど、インターネットのおかげで、INの情報量が格段に増えた。そうするとOUTがないとたまっていくだけなので(ためるというのは危険だというお話もあるので)これほどの人がブログを書く。何か食えば排泄行為があるわけですけど、ブログってのは便所みたいなもんで(笑)そうしないと、インターネットという世界でのバランスが崩れちゃう。掲示板も一緒ですが、そういう機能があるんではないでしょうかねえ。

前に松本隆大瀧詠一の対談で、松本隆は根っからのクリエイターで、表現しないと溜まっていってしまうのでどうしようも無くなる、という一方、大瀧はフラットな人間なので、OUTが溜まることはない、という話をしていて、非常に面白い話だなと思ったんですよ。

私は、両氏ともリスペクトする人物ですけれども、やはりどちらも溜まってしまうことには変わりがない、と思うんです。それはINPUTされる情報の中間処理の問題なんじゃないのかと。

つまり、松本隆という人は少量のINPUTで、数多くのOUTPUTが出来る。(INとOUTの間に想像力っていうフィルターがある)
逆に大瀧詠一という人は、少量のOUTPUTの為に(目的化された)膨大なINPUTがある。(INとOUTの間には分析構築力っていうフィルターがある)

特に大瀧さんの中にあるポップミュージックに関する膨大な情報と仮説ってのは絶対にまとまった形として世に残すべきだと思うのですけどね。たくさんありそうじゃないですか。

問題は、ですね。ここもそうですが、本来OUTPUTするための中間処理バッファのような役目をするはずなんですよ。ブログだったり日記だったり時評だったり。でもそれが目的とされずに、ただハキダメのように言葉が捨てられていくのだとすれば、なんか恐ろしい空間だなと思っちゃうんですけどね。

内田樹は、自分のブログを「本にして発表する」ことを前提にして書いているそうです。推敲もちゃんとして。その時の感受性が普遍的であることをちゃんと検証して。どんな形であれ、来るべき勝負の時にキチッとしたOUTPUTを出せるように準備しておくことは、大事なんじゃないかなあ。

などと、盟友と先日お話しておりました。

さて、「テクノ歌謡曲」シリーズ第2弾(YMO人脈が絡んでいない編)お借りしてます。やはり、ヤマハDX−7登場以前の、アナログシンセを苦労して使ってます感漂う70年代後期〜80年代前半の雰囲気というか、風味というか、最高です。ドラムのプログラミングに時間がかかりすぎ予算オーバーになるため、急遽生ドラムにしてシンセだけ乗っけた、とかそういう裏話も最高。時代ですな。(笑)