酒と泪と男と女と愛と勇気と社長業

この間、ホリエモンが秘書連れて深夜番組に出演していたのを何気なく見ていたのですが、いいこと言っている部分がありました。

司会者「32歳で財界の大御所や大企業の社長さんと対等に渉り合えるのは凄いですよね。
    ビビッたりしないんですか?」
という問いに対しての答えです。
「彼らの多くはサラリーマン社長で、在籍も5年とかでしょう。僕は10年以上社長をやっていますからね。やはり社長と社長以外、というのは見えるものが全く違うんですよ。だから全然平気です」
いや、私は社長ではないですが、仕事柄いろいろな中小企業の社長に会うわけです。そうすると大小に関わらず社長、というかピラミッドのトップは言うことが似てて、含蓄があって、聞きほれてしまうんです。いつも敬服します。このホリエモンの回答、心に響く言葉でしたよ。やっぱり何だかんだ言われても社長はエラいんだなあ。

この間うちの社長が結婚をして、ささやかなパーティをして、私が乾杯の挨拶をしたのですが、その時、社長業を車の運転に例えたんですよ。

まあ、若くて一人モンの頃は原付バイクみたいなもんなんですよ。それが結婚して子供が出来たり、管理職になって部下が出来たりすると、出せるスピードレンジが拡がって、その分ハンドル操作が難しくなる。私なんかだと、まあカローラぐらいのもんですけど。(笑)
部下が増え、子供が増え、子供が大きくなってくると、どんどん扱いにくい車を運転しなきゃならない。

社長が独身だったのは、やっぱり社長業ってのが原因で、それこそF−1みたいなもんでしょ。F1運転したことないけどね。(笑)ハンドルは言うこと聞かないし、状況判断も難しい。社長業だけでもF1ぐらい途方もなく難しいのに、結婚もしちゃえば(そして子供なんか出来ちゃったら)、それこそF−1レベルを超える難易度の人生になっちゃうっていうので、やっぱり結婚の決断が鈍るのは当然じゃないですか。
それを乗り越えて結婚するってのは、よっぽどの決断だったんじゃないかなあ、それぐらい奥さんにほれたんですね、みたいな話をしたんですが。。(適切な挨拶だったかはさておいて。まあフォーマルな場でもなかったので)

「愛と勇気」なんていう古臭い、現代人は決して使わないような言葉がありますけど、いろんなピラミッドの頂点に話を聞いた感想を一言集約すれば、これしかないんですよ。人生ニヒルに、クールに、かっこよく生きるなんていう幻想はウソだと。地べたはいずりまわって、それでも自分のまわりの万物に愛を持って、いかなる恐怖にも、腹に力を入れて立ち向かっていく、それしか、生き残る道はないんだ、ということ。
でもそれって、やっぱり若い頃ニヒルでクールにやっていた人達が「気づき」を持って実践しているからこそ、より光っている。だから、10代20代に「愛と勇気」なんて説教はダメなんですけどね。「気づき」の環境を与えることこそ、「気づいた」人の役目なんでは、と思う今日この頃でございます。

あと、やっぱり要人ほぼマゾ説っていうのがあって。(笑)やっぱりこう、社長さんがSMクラブの常連だったり、赤ちゃんプレイに夢中になったりするっていう「都市伝説」みたいな話は本当で、「苦難」なほうを直感、皮膚感覚で選ぶような人じゃないと、責任は取れないなあ。

最近、「自己責任」に纏わる話、特に「責任をうやむやにする日本人」という話が方々で聞かれますけど、責任を取るって、「万物への愛の姿勢を勇気を持って貫く」ということなんであって、「愛と勇気」を持ってない人に責任は取れっこない。
だから、愛と勇気の無い人が責任のまわし合いをする。それが人の言う「自己責任」という言葉の裏側なんではないですかねえ。

今「愛と勇気」が分からない、という人はとにかく、そういう人種に会って話を聞くか、マジかに見るか、勘でそういう素養の人が書いた本に出会うか、何でもいいですけど、要は「縁」です。(笑)出会わない人は一生出会わないし、気づかない人は一生気づかない。そういうもんなんです。不条理だけど。どっちが幸せか、というのはまた別の話ですけどね。