橋本治のゲイ達者ぶり

すっかりご無沙汰してます。

この間、内田樹氏のブログを覗いていると、どうも出版社の企画で宮崎哲弥氏との対談が企画されているとか。つい先日願望を口にしたばかりでしたが、もう企画が上がっているとは嬉しい限りです。

こういうので思い出すのが、石原慎太郎都知事になったとき。一橋大卒で、学生時代に芥川取ったんで、じゃあ次は田中康夫かね、なんて言ってたら本当にそうなってしまってねえ。こういう世の中見物の楽しみ方もありますね。

石原慎太郎田中康夫、まあ村上龍なんてのもそうですが、本来アナーキーで異端であるはずの文学者が世間の良識を作ろうと最前線に立つ時代、という面白さというか変動の時代というか、そういうのってあると思うんですけどね。誰だか民衆の99%を救うのが政治で1%を救うのが文学だ、なんていうことを言ってたりして、勿論文学なんて今は1サブカルに過ぎないので、1%も救えない文学界を諦めて、政治に出てきた、ということでもあるんだと思うんですけどね。

そうやっていろんな分野の人が政治に吸い寄せられてくる。僕も例外ではないけれど、なんか最近は政治というものに妙に吸い寄せられている自分がいることにふと気づくんですよ。大人になれば、ある程度政治って興味持つんかなあ、ぐらいのイメージはあったんですけどそうじゃない人は全然そうじゃないしねえ。
政治って決断するレンジが広いというか、見ているとダイナミクスがあるでしょう。自分で自分を決めていく、つまりピラミッドのトップにいる人だけが「近代個人」たりうるのだというのは橋本治の言葉ですけど(ピラミッドのトップというのは組織の頂点というだけではなくてその人ひとりでもいい、ということです)自分で自分の全てを決めていく、責任を取っていく、という生き方を志すと、やっぱり政治を直視せずに居られない、というのはありますよね。

橋本治内田樹というのは、同年代ですよね。団塊世代。二人とも「反全共闘」だという(それは全共闘アジテーションの言葉の難しさに対して、彼らが語る言葉の平易さとシンプルさの際だつことか)、つまり世代内でのマイノリティだったことで共通していますが、この辺りのパワーが上がってきたというのは何かにおいません。今後も注目してみていたほうがいいと思います。つまり、2007年問題(団塊世代の一斉退職)を過ぎたあたりから、本当の意味でいろんな「総括」を始まるための、今は準備段階のような気がします。この二人が、いいも悪いも日本を方向づけてきた団塊世代にとどめを刺しそうな気がします。(笑)