女性上位時代

女性上位時代、これは80年代にピチカートファイブが出したアルバムのタイトルでもあり、最近の私の生活実感でもあります。

友人に指摘されて気づいたのですが、最近会食したり会って会話したりする人がほとんど女性なんです。平日飲みに行くのは女性の部下(うちの会社、女性多いんですが)休日遊ぶのも女性。しかも、話は面白いし、内容も濃いし、毎回有意義です。
男性の関係性は少数精鋭になってきてます。会って話すまでもないかな、という人が増えてますね。これは男、女ではなく、人として見て、ということですよ。(弱っている男は、ここからもう理解できない状態かも)

最近女子ゴルフが人気急上昇ですよね。男の世界は元気がない。ゴルフに限らず野球も相撲も。唯一総合格闘技というのがまだ人気のようですが、あれはなんというか男の意地というか(笑)最後っ屁のような感じですかね。これこそ男だという過剰さが嫌いなのか、僕はほとんど詳しくないのですけど。

周りの女性だけみても、男性より元気で前向きで知性があって、ということは実感としてあります。今に始まったことではないですけどね。ガキの頃も、情報も持っていて一緒にいるのが楽しかったのは女性でしたね。

だから別に新しいことでも何でもないんですけど、最近本当に男と深い話してねえなあ、と思うんですよね。男の弱体化、はちょっと前から言われてましたけどね。「結婚したくてもしたいと思う男がいねえ」という私のまわりの女性の言葉、うーんと納得しちゃいます。(笑)
だって、人間として魅力的な男って、本当になかなかいなくなってます。

男も底力を見せて欲しいですよね。底力ってのは現実を直視した時ですよ。直視して、一歩ずつ階段を「上」に向かって登ろうとするとき。いろんな現象を見ていると、これが出来なくなってきているみたいですよね。

男が例えば有責任行為(組織の管理、結婚、出産とか)なんかのリアリティに立ち向かうことが出来なくなっているとするのはどうでしょう。それは不安定社会だのなんだのという学術的な理由はいっぱいありますけど、僕の実感としてね。子供が出来てからうちに遊びにくる男の数が減った、両方を知っているカップルでも女性しかこない(!)とか、そういう現象があるんですよね。これは、そういう生活感というか、リアリティをなるべく見たくないということの表れ、なのかなあ。だから必然と女性とのカラミが増えちゃうんだな。リアリティに富んだ濃い話、出来ないんだよな。本当に。

独身やディンクスの男のマガジン、といったものは増えてますよね。「男の〜」みたいなね。ああいうのに煽られちゃうやつ、多いでしょうね。

勘違いしちゃいけません。例えば仕事上の責任でね、会社がつぶれれば借金を負ってしまうとか部下が失敗をすれば生活を賭けて責任を取らなきゃいけない、というようなことですよ。そういう立場にある人がどれだけいるか知りませんけど、そういう「伊勢丹系男文化」を下支えしているのは、ほとんどカップラーメンすすりながら好きなことにカネを使いたいというリーマンばっかりでしょ。自由に使える金が多いか少ないか、というレベルで「男の〜」とか読んで身なりを磨いてもしゃーないんですけどね。女の子が極貧に絶えながらブランドものを買うのと同じ。日本文化でしょうか。(笑

つまり、結婚してようがしてまいが、子供がいようがいまいが、仕事が出来ようが出来まいが、そういった有責任行為をどれだけ背負っているか、が男としての価値なのだよ、と言いたいんですけどね。男はそこの話に行く前に逃げちゃう。そんなことより、速い車やいい時計やデットストックのスニーカーの話をしたいのです。少年の心?モラトリアムと少年の心は意味が違うんですけどね。

現実を見る、たったそれだけのこと、なんですよ。
数少なくなってきた男の同朋を大切にしたいと思う次第です。