大貫妙子のぼやき漫談

日曜日、車で何気なくラジオをつけたら、山下達郎の番組に大貫妙子がゲストででていました。大瀧詠一か奥さんかしかゲストに呼んだことがないと言っていたので、もの凄いタイミングで聞いてしまったなと。やっぱりこういうのは「呼ぶ」んですよ。

それで何故大貫妙子かというと「シュガーベイブ」デビュー30周年なんだそうです。僕ら世代だと渋谷系(なつかしい)の動きの中での再評価だったりテレビ番組の主題歌になったり、もっと古くいうと「ひょうきん族」のエンディングテーマだったり(EPOのカバーだっけ?)という感じで触れていたバンドです。
大瀧詠一の資金不足(笑)でファーストアルバムで解散という憂き目を見ましたが、確かにいいバンド、でしたよね。まったく当時評価されない、トマトを投げつけられていたクラフトワークと同じような扱いを受けていたみたいですけど。(笑)早すぎたポップ、だったのでしょう。

で、テーマはそれではなく、大貫妙子の「物言い」が好きじゃない、ということです。

全てを読んだり聞いたりしているわけではないんですけど、彼女の「排他性」というか「一流しか認めない」という感じの大柄さと言いますか。本物志向であるのはもの凄くいいし、彼女の活動の道も誇るべきものだと思うんですけど、メディアで感情的になりすぎるというか、ね。細野さんとか吉田美奈子氏のような「枯れ」が出来てない、という感じが凄くするのですよね。

それを察知している山下達郎、番組でもビビッてました。(笑)あの世代は、「本物じゃない=邪道」のひとつとして「商業主義」がありますよね。テレビには出ないということがミュージシャン、クリエイターのポリシーだった時代ですから。山下達郎は今だにそういう部分にも腹を立てそうな大貫妙子にビビる。そりゃビビります。その番組でも現状のシーンや若いミュージシャンの動向に文句たらたらでしたからね。
そういえば松本隆も、アグネスチャンとかに詞を書いたりしたら友達がひとりもいなくなったという話もありましたが、そういう時代だったんでしょうね。

ひとつの時代を作ったことは確かでしょう。でもそれを「絶対正義」としてしまうのは「似非フェミニスト」とかと同じで、ちょっと眉唾ものだと感じてしまいます。最初にやったやつが偉いのであれば、その時代に産まれた幸運があっただけの話で、その一時代にあぐらをかくことで後発世代がどれだけ苦労したのか、偲ぶに耐えません。(笑

今のシーンを作ってきた自負があるのなら、今のシーンの惨状を招いてしまった一端をも自分が負っていることも自負すべき、ですよね。こういうところ、団塊世代の多くは無自覚という感じします。

最近JR西日本の遺族のコメントで「これはJRだけの問題じゃなく、あなた方(マスコミ連中)そして私をも含めた「ゆるみ」の問題だ」と語っていたおじさんがいましたが、秀逸ですよ。遺族ですよ。JRのせいにしなきゃぶつけどころのない怒りを内面にもっていくとは、強い人ですよ。しかし懲りもせずヒステリックな報道、ゲンナリですな。