明るい家族経営

なんだか、いつも違う話題だけど最後は同じ結論ですな。(笑)それぐらいちょっと強烈に問題視してるんですよ。いろんな意味での「2極化」というのにね。
そういうこと言い出すと(特に識者がね)どうせ言ってる側が「勝ち組」の側だろ、みたいないじけ批判をしてるのが、ネット上とかでも多いんだけど、今言っている「2極化」というのは、その時点での「立場」ではなくて「姿勢」であるところが大きいんだよね。(ま、手遅れってのはあるけど)
簡単に言えば、疑うこと、不思議に思うこと、疑念はどんな手段でも晴らすこと、逃げないこと、前進すること、億劫がらないこと、勇気をもって行動すること、等々。昔から格言なんかである「普通」のことを、どれだけ出来るか、ということに尽きるんですわ。
何故普通のことが出来ないか、というのは前回言ったように世の中が複雑になっているからです。

今日は、妻が用事のため仕事を休んで育児である。育児、好きである。うちの妻は行動派なので結構子供の面倒を見るけど、子供と向き合う時間の真剣勝負ぶりは、仕事をしているのと変わらない労力を要する。部下を育てるのと子供を育てるのは同じ、である。
「子供だから」と食ってかかる親は、たぶん子育てに失敗している。
平社員が何も分かってないと思って好き勝手にふるまう上司が基本的にだめなのと同じである。
最近、宮崎哲哉の昔のコラムを読んでいて感動する言葉に出会った。「個は自分自身のために存在するのではない。あなたは私がいるからあなたであって、私はあなたがいるから私なのだ」こんな基本的なことを現代人は見えにくくなっているというくだり、心にしみた。
喜びは倍増し、悲しみ苦しみは分散する、そういう家族というものの素晴らしさ、子育て、共同生活がどれだけ人を成熟に導くのか、もうちょっと言うべきだろうか。
シングルやディンクスを継続する理由が「ウォーターフロント」のマンション生活の維持のためだったり、結局はオンリーワンではありえないような仕事に関わらずそれを維持するためだったり、寂しいもんだ、という批判は識者からよく聞かれるが、結局本音では、生き抜く自信がなかったり、他者と共生する度胸がなかったり、といったことである以外に理由などないと思う。
家庭も「経営」なのだ。経営は誰にでも出来るものではない。なので昔はある程度均一のモデルをたて、それにしたがっていれば、不渡りを出すことは免れた。しかし、今は家庭も「有能な経営」を独自に展開する能力が必要となり、真の意味で「出来る」人にしか家庭を運営できない社会がきた、と言ってもいいのかもしれない。
経営に有能な仲間が必要であるように、有能な妻を見つけ「惹き入れる」魅力が必要だ。経営は「存続=存在価値の継続」が目的である以上、子育ては最大の事業になる。そう考えると、今の結婚率、離婚率、出生率の減少は、なんとなく理解できる。
(そういう現状認識できないで結婚してしまう(特に出来ちゃった婚系)層の恐ろしさは以前書いたとおりです)

あと何年かしたら、日本は犯罪とボランティアが急増すると思う。生活基盤を失う大勢と歳をとり仕事を奪われ、生きる意味を見失う大勢と。気をつけないと子供さらわれちゃうんだろうなあ。(笑)

しかし毎回暗い話題である。