2:8理論から芸人の知性まで

ずいぶんと重い話が続いてしまいました。
以前東浩紀さんの「社会に対する熱い想い」を年齢的に「共感」出来るとしましたが、例えば結婚したり子供が生まれたり、会社なら昇進して部下や上司や権力とぶつかったり、まあだいたい30までにはそんないろんなことが起こってくると、社会との接点がたくさん出てきたりしますね。
だから考えるか、というのは早合点です。考えなくとも全然済むわけですね。「今のところ」それでも生活は保障されますから。

民が考えることを拒否する、というのは別に今始まったことではない、わけですよね。それを利用した「時の権力者」はたくさんいたし、失敗もたくさんしてきた。みんなが様々なことについて自分で考え抜いて、その中で物事が決まって進んでいく社会、なんてありえるのかと思いますね。

組織論には2:8理論というのがあるのですね。どんなに有能な人を集めた組織でも2割の有能と8割のそうでない人が生まれる。時の政治や社会が歴史的に賞賛されるかどうかは2割の良識、にかかるわけですよね。

活字やテレビや新聞や、民主主義という道具の上では皆に向けて発信しているようでも、実は2割の人にしか伝えていなかったり、8割の人に向ける場合は「まあ適当でいいか」的情報を流したりしますよね。
リテラシーとか、そういった重要性なんかが叫ばれてますけどあれなんか完全に2割に向けて語られているわけですよ。だって10割がリテラシー能力を持っていたらメディアは成り立たないわけですから。

あ、またシリアスな話になっちゃいますね。モードがそういう風なんでしょう。

ここの最初のログで触れた水道橋博士の日記、相変わらず面白いのですが浅草キッド名義の本「アサ秘ジャーナル」図書館で借りて読みました。(テレビの移植版です)
いろいろな政治家へのインタビューを通して、水道橋博士は各政治家の話を受けて戸惑いを隠せない、という感じが、そこがもの凄く良かったです。

みんな党が違ったり政策が違ったりするわけですが、直接話を聞くとみんな真っ当なこと言うし、全部納得しちゃう。それは自分の政治思想がどうであろうと当たり前の感情であって、ある一面自分にとって賞賛でき、ある一面では否定できる、というのがいい捉え方だと思うんですよね。バランスのある人間というのはそういうもんですもんね。本当はもっとわかりやすく(例えば善と悪、とかね)
政治を政治家を伝えたほうが読者はすっきりするだろうけど(それをアメリカになぞらえて「反知性主義」とか言うみたいですけどね)、そうはいかない。それをどう伝えたらいいか、という「戸惑い」ですよね。それが正直でいいなあ、という感じがありました。

しかし水道橋博士のインタビュー遂行能力ってのは凄いですね。昔友達のフリーライターからインタビュー仕事の難しさ(特に対談形式の進行役)について飲みながら聞いたことあるんですよ。もう全知全能、五感をフルに使った人間力に長けた人でないと「良い」つまり記事として価値のあるものにするのは難しいみたいですね。

ただ、なんか質問してりゃいい、ってもんじゃないし、相手の表情や雰囲気を掴みながら話の流れを創りながら確信に迫っていく、というね。昔スチャダラパーのアルバム(一枚目だったか2枚目だったか。。)で、音楽雑誌記者の無能ぶりを揶揄した歌があったけどね。あの当時結構それ言っている人いたよね。毎回おんなじこと聞かれてうんざり、とか。
音楽雑誌が乱立していたから、ライターの質が落ちてたんですかね。今本屋の音楽雑誌コーナーってさびしいもんですけどね。棚幅も縮小されて、ね。

浅草キッド、いいですね。こう紆余曲折しながら長い年月をかけて着実にいろいろな力をつけている感じがいいんですよね。今後も注目すべき「知性」だと僕は思います。