宅八郎のご逝去にふれ、90年代の川勝的なものと宅的なものについて

昼飯食いながらこのニュース。
 
宅八郎さんが亡くなってたそうです。食後のコーヒー飲みながら追悼します。
 
あたしは90年代若者なので、雑誌宝島的なサブカルチャーポップカルチャーの洗礼を受けた最後の世代なんですけど(宝島がサブカル誌をやめて経済誌になったのは確か高校生)、私見を大雑把にいえば、90年代のサブカル川勝正幸的なものと宅八郎的なものの流れがあって、あたしは川勝さんの流れだったんですけど、95年にインターネット元年があり、98年頃からそれまで2分されていたサブカルとオタクの世界が、だんだん宅八郎的なオタクカルチャーがサブカル全体を代表するものになっていったというのが、あたしの体験でもあるのです。中野ブロードウェイまんだらけが出来たのが確かその頃で、あたしはもちろんそれまでタコシェにのみ行ってたわけですけど、中野ブロードウェイ宅八郎で埋まっていくのを目の当たりにしています。
 
川勝さんの流れですから、あたしはサブカル好きといっても、エログロナンセンス、音楽映画演劇活字方面だけで、アニメ、PC、ゲーム、2ちゃんねる、ニコ動みたいな世界にはまったく興味が無かったので、宅八郎的なものが主導権を握って以降は「サブカル」という言葉は使わなくなりました。いまも、例えば20代の若い人に30年前のサブカルといまのサブカルの違いを説明するのはほんとに苦労します笑。
 
あたしがなぜ、物心ついて、サブカルチャーの洗礼を受けた時に、宅さんではなく川勝さんを選んだのか、と考えると、それはやっぱり連続幼女殺人事件の影響が大きかったんだろうと思いますけど、あたしらの世代の、日航機墜落事故、グリコ森永事件、連続幼女殺人事件、バブル崩壊阪神淡路大震災オウム真理教酒鬼薔薇事件とキレる14歳群、ぐらいまでの事件が人生の嗜好に与えた影響の大きさについて、宅さんの死は改めて考えさせられます。
 
70年代~80年代前半の出自は、川勝さんも宅さんも隣近所なわけですし、小流が大河になっていく40年を振り返ると軽く眩暈がしますよね。ご冥福をお祈りします。