筒美京平亡きあとに話題になるboowyとヤンキーについてが興味深い

昼飯食いながらスマホ見てたら表題のことが流れてきて面白かった。boowyはヤンキーのもの、ということを後追い世代が実感として掴めずにいるところをリアルタイム世代がフォローする構図で、何故にいまこの話題なのかも含めて興味深い。
 
音楽に限らないあらゆる表現がどういう時代背景と文脈で出てきて…みたいなことが忘れられて作品が単純に残ると、どの時代のどの表現もこういう話になるし、別にboowyがヤンキー文化だったかどうか、は、歴史や文化を流れで捉えたい人以外は、まあどうでもいいんじゃないかという気もしないでもない。
 
私見では、boowyはヤンキーカルチャーの前に出自が北関東カルチャーなんで、全体的にはヤンキーカルチャーをまとってしまうのは仕方ないと思うけど、細かくいえば、布袋さんは服部良一からの流れ、氷室さんが古賀政男からの流れで、boowyは初めてバンドとして両方の流れを表現できたバンド、ということを個人的には思っていて、布袋さんが作る曲はカラッとキャッチ―でポップで、モータウンビートで疾走する「ホンキートンキークレイジー」なんかは「東京ブギウギ」の流れなんだし、氷室さんが作る、例えば「わがままジュリエット」とか「クラウディハート」なんてのは、船村徹さんの「別れの一本杉」の流れですよね。(笑)
 
だから「boowyとヤンキー論戦」について言えば、boowyを「パンクニューウェーブ」の純粋な音楽の流れとしてとらえたい人は大まかには布袋さんのセンスを指していて、「ヤンキー文化の象徴」として、あくまでヤンキーカルチャーと密接になってブレイクしたと捉えたい人は大まかには氷室さんのセンスを指していて、それを全体としての「北関東東北出身者」の雰囲気がまとめているということのように思うし(だって残念ながらboowyがみんなが港区や横浜の出身だったらシティポップロックになるわけですから)、解散後に布袋さんは服部良一的洋楽指向を追求するもそれが行き詰ってcomplexの結成にいくし、氷室さんは自覚していたかどうかは別にして、自分の歌謡性を薄めてくれる人たちを周囲に置いて、歌謡とロックをうまく繋いで西條秀樹化を防いでいくという笑、そういう理解です。
 
「ヤンキー文化」なるものへの解説はナンシー関さんの提唱以来、学術的にも研究されてきている分野なので詳しくは本読むと面白いと思いますけど、キャロル、山口百恵ダウンタウンブギウギバンド、横浜銀蠅、クールスときていた硬派なヤンキーカルチャーが、なめ猫とかアラジンとかでパロディになってしまう時代に、新たな受け皿として出てきたのがプレバンドブームの人たちで、boowyレベッカバービーボーイズが、その受け皿の1つになった時代背景もあったと思うけど、売れるとか社会現象になるとかってそういうことなので、そういうことなんですよね。(笑)
 
先日お亡くなりになった筒美京平さんが「服部良一古賀政男の両性具有の存在」だとしたなら、boowyはその両性具有をバンドとしてポップフィールドで成立させたバンドだったんだと5年ぐらい前から言ってるんですけど、筒美さんの死後にこうやってboowyがまたしばらくぶりに話題になるのも、なんだか不思議ですね。