山田昌弘さんの「パラサイト難婚社会」を読み、結論に泣く(笑)

先日結婚記念日で、結婚して満22年となりました。ブログ等にも何度か名前が出てくる、日本の家族社会学者の代名詞とも言える「山田昌弘」さんの新作「パラサイト難婚社会」がこのタイミングで出まして、早速買って読み、この22年の振り返りとともに、本の終わりに泣きました。笑

あたしは8年弱の長期恋愛を経て結婚しましたが、すでに多様化していた同年代の様々な生き方がそこにあり、何が幸せで何か不幸なのかがまったく混沌とする中で既婚子ありの人生をたまたま選択することになった自分が何なのか、つまり「家族とはなにか」を通じて自分を考えたくなって、そこでたまたま出会ったのが山田昌弘センセの一連の著作でした。「パラサイトシングルの時代」「希望格差社会」「家族難民」「婚活の時代」「結婚不要論」等々。もちろん著作を全ておっかけてるわけではありませんけど、主要な局面で必ず助けや知恵となる論考となってきましたし、多様化し。ゆえに分断化する「様々な生き方」の現状も、あたしの属する既婚子ありの社会を取り巻く状況もそこで学び、自分の人生にフィードバックしてくることができましたので感謝の念に耐えません。

社会学」というのは「人文科学」ですから、基本的には仮説があり、実態があり、根拠となる数字があり、論考があり、結論(最終的には政策提言)という構成になります。これまでの本はその域から一歩たりとも出ていなかったと思いますが、しかし今回の「難婚」本の最終章は「科学」の枠を飛び越えて、哲学的で宗教的(霊性的)なところに踏み込んでいたので驚くとともに、あたしは山田センセの集大成(最終結論)をそこに見て、自分の22年の家族考察と山田センセの30年の研究の道程の「終わり」感がひしひしと押し寄せ、故に涙が出たのでした。

山田センセの最後の核心稿はカントの哲学の引用から始まります。カントは相手を手段(機能)として扱う場合と相手を目的として扱う場合に分けて、人間は相手を目的として扱うべきだと主張したという内容です。
「夫はATM 妻は家政婦」というような損得的な物言いが前者で、後者は「慈しみケアしあう関係」というような意味とすると分かりやすいかもしれません。山田センセは、人間関係をカント哲学的な「あなたはわたしの生きる目的である」という「愛とケア(裏にあるのは相手への覚悟と責任)」の関係で構築できるように個人の教育啓発をするとともに、社会を、具体的には個人を慈愛の関係資本になるべく純化(ミニマライズ)できるように、出産教育介護等の負担は国や社会が分担できる社会になるように設計する必要がある、というところまで書いて、この本は終わっています。

あたしは、人間は他の動物と違い、ケアされないと生き延びれない嬰児として生まれてくることから、その「自分がされたケア」を大人になって周囲や社会に返していくのが道理だろうということを思うので、すべての人間関係資本は、損得ではなくケアの関係であることが理想だということを思ってここまで来ていたので、山田センセ、やっぱり最後はそれですね、的な感慨と共に、この22年のあたし個人の山田センセの著作群と併走した22年の試行の山の頂がいよいよ見えたのかということを思い、山田センセは引退宣言も断筆宣言もしてませんけど(笑)、何かの「終わり(区切り)」を感じるに充分なメッセージでした。

やはり後は山を下りる道程に入っていくわけですか、と思いながらも、この本の読後に浮かんだ言葉は仏教にある言葉でした。

「私は貴方がいるから私であって、貴方は私がいるから貴方なのだ」

山田昌弘先生、「あとは各自で」了解しました。

 

映画「PERFECT DAYS」について~毎日ケがなくハレ続けるSNS界隈の隆盛は祭りの衰退とイオンモールの受け皿衰退と関係ないのか(については書いていません)

あたしは映画館に行くのは習慣化されてないのですが、たまたま連れ合いに誘われて、ヴィムヴェンダース監督、役所広司主演の「PERFECT DAYS」1月初旬に観てきました。

巷では絶賛多数、否定派少数のようですが、あたし的には久しぶりにまた観たくなる映画との出会いとなりました。

ヴィムヴェンダース監督はドイツ人で、小津安二郎マニアを自称しています。1984年に小津監督の東京物語の足跡を追うというドキュメンタリーを撮っていて、はからずもあたしは連れ合いと数年前に調布の公民館で映画サークルが主催した上映会に足を運んでいます。当時の記事を掘り返しておきますが、正直いって、その監督とこの監督が同一人物だと知るのは映画観た後で、つまりまったく前情報や予備知識なく見て、感動して、後からなるほどご縁ですね、といういつものパターンです。笑

それで映画の詳細は調べていただくとして、公衆トイレの清掃員が毎日慎ましくルーティンを繰り返し、自分の身の丈で足るを知るという小さい世界観の中で、小さな満足の積み上げで生き、それが満ち足りた人生でもあり諦念の人生でもあり、その複雑さや揺れが人生なのだよ、という風にあたしは観ました。あたし最高、と、あたし最低、を繰り返しながら人生はだんだん振れ幅を狭めていき、最期を迎える運動体なのである、と。

だからこれ、振れ幅の大きな若い頃に見ると退屈極まりないんだと思いますが、アラフィフにもなると良く分かってくるという感じがします。それは小津映画本家にも言えることですが、何回も観ていくうちに、そのわびさびを徐々にじんわりと感じられるため、何回観ても新しい発見があって飽きず、そうなるために張り巡らされた膨大なアイデアとこだわりが詰め込まれたひとつの構造体になっている、と。それはだから(小津にシンパシーを感じ影響を公言していた)大瀧詠一さんの創作物も同じで、君は天然色を筆頭とするロンバケはだからエバーグリーン足り得たのではと思います。

批判派の意見は、現実の東京と乖離している、(トイレを扱うのに汚物がないことを含む)現実のダークサイドがないファンタジー、トイレ清掃員の日常をブルジョア層(企画制作サイド)が上から目線で美化している、などといったもののようですけど、それはちょっと観ている視点(ヴィムベンダースはじめ制作陣が作品を通じて伝えたいこと)がズレた感想なんじゃないかというのがあたしの意見です。

いま東アジア反日武装戦線の桐島指名手配犯が死去前に本名を公開してそのまま病死した話が話題です。あたし何回もここに書いてますけど、80年末末の「バンドやろうぜ」と60年代末の「ブントやろうぜ」は同じメンタリティだったという仲俣暁生さんの説をあたしは支持していて、新左翼の中で、もちろん本気で革命を目指した人も中枢に何人かいたでしょうけど、周辺で無邪気に過激化していく人たちのメンタリティは、若者文化面だけで言ってみても、例えば70年代後半の自販機エロ本の過激化や、80年代前半のアンダーグラウンドパンクノイズのステージ過激化や80年代中盤の土曜の夜のお色気の過激や…(90年代以降以下略笑)…そして現在のYoutuberやSNSの過激化まで、モテをふくむ承認欲求の50年経っても一切変わってない若者のマグマメンタリティなんだという考え方です。

なので、仮に桐島さんが50年前とマグマメンタリティが変わってなければ、どなたかがおっしゃった「あさましい自己顕示欲」だったのかもしれないけど、50年経てば人間変わりますので、50年経って、映画の役所さんのように枯れているとすれば、つき続けた嘘を、最期の最期、このまま嘘で死んでいくのが耐えられず本名を漏らした、ということになりますが、はてどっちなのか。

PERFECT DAYSの役所さん演じる平山は、老いてマグマは冷え、自己顕示欲を含むあらゆる欲や比較の世界から自由になり、毎日淡々と繰り返すルーティンに小さな幸せを見つけながら、淡々と死に向かって生きていく。「自分を毎日機嫌良くさせて、毎日気持ち良く暮らすにはどうしたらよいかコントロールできる」を大人の定義の一つだとするならば、平山さんはまさに人間として成熟し「きちんと枯れた」、その枯れの美しさの表現に世界中の賞賛が集まっているのではなかろうか。だからこの映画はある男の内面の物語であって、清濁併せのむ社会現実から切り離すことで、その男が強調される。なんの説明もない、表情と所作と数少ないセリフで構築されたある男の人生論のモノローグ表現なんだと観たのでした。それが映画のキャッチ「こんな風に生きていけたなら…」に繋がります。

SNS界隈は相変わらず「比較は不幸の始まり」のオンパレードのようで、かつ一説には過激化している大部分は中高年「男性」が中心なようでして、まあそういう状況へのアンチテーゼともこの映画は捉えることもできましょうか。批判はもちろんSNSで展開されるので、批判の論点がそっち(内面ではなく境遇や環境設定や現実の厳しさとの差異比較論)に寄ってしまうのも、まさにそういうことで…。

いつぞやのジャニーズ問題であたしがKCさんを批判したのも同じ論点でした。ジャニーズや性加害や山下達郎を擁護したのではなく、この映画の平山とは真逆の、何かを利用してテコを動かして物事を効率的に動かそう、とするあからさまな品の無い政治性、それはだから上記の「マグマメンタリティ」的なものを中高年がなりふり構わず振りかざすことへの違和だったというように思います。この映画への感想文も、同じ問題意識、同じ構造を持っていると思います。

というようなことをSNS界隈に書いて公表すること自体がまた「比較は不幸の始まり」を始めてしまうのかもしれませんが笑、そういうことは関係なく、対面する近親者とこの映画観てと共有しまくっているので、その人たちと今後も楽しくディスカッション、というより各々の人生とこの映画を照らしあわせることで見えてくる自分のイマの振る舞いや今後導くことになるだろう最終的な人生訓、を酒飲みながら話しつつスタートする50代が面白そうだなと思っているので、その近親者向けにまずはあたしの映画に関する現在の所感を書き残しておきます。

ヴィムヴェンダース監督は小津安二郎生誕120年に狙ってこの作品作ったのかどうか不明ですが、いやあ、ほんと良い映画でした。

 

ここのところインプットばかりで、久しぶりに食後のアウトプットしました。また何か残しておきたいことがあれば、ひょっこり顔を出します。

 

現在公開中のPERFECT DAYSチラシ

数年前に見たヴィムヴェンダース監督の1984年の小津と東京のドキュメント映画上映会チラシ

 

「1973年に生まれて」を読んでいたら川崎で哀愁漂う事件が起きて物思フ

速水健朗さんの「1973年に生まれて」を読みました。

【東京書籍】 一般書籍 社会科学 1973年に生まれて

あたしここに前にも書いたことあるんですけど、「西暦4桁タイトルフェチ」でして、故坪内祐三さんの随筆「1972」とか、小熊英二さんの評論「1968」とか、ジョージオーウェルさんの小説「1984」とか、書物じゃなくても、ケラさんの舞台「1979」とか映画「1980」とか、スマッシングパンプキンズの名曲「1979」とか、まあ挙げればキリがないんですけど、まあみんな名作です。

それで、あたしも1974年生まれ、しかも5月なので、気分は1973年世代に近くて、小学校の頃は地域の年上(1972~73年生まれ)とばかり遊んでましたし、1歳違うと若い頃は少しずつ体験が違うという、団塊世代の1歳ずつ違い集合バンドだった、はっぴいえんどの面々も証言していますけども、まああたしらは60年代の「1年違えば全く状況が異なる」といった動乱の時代後の、わりと浮かれてて安定化する時代だったこともあって笑、ほぼ差異ない時代観として読みました。

物事を点ではなく線、流れで捉えるという意味合いでは、この50年がどういう時代だったかというのは分かる構造になっていると思うんですが、上述の坪内さんや小熊さんの本にあるような「時代の象徴的あるいは些末な事象群から導き出したい独自の仮説と検証」みたいなものが本書にはないのが、読後感に少し物足りなさは正直感じました。団塊ジュニアを歴史上どう位置付けるのか、橋本治さん言うところの「こんな過去の振り返り方があったのか、をしたい」といった野望や飛躍を期待していたのですが、まあそれはあたしの欲張りです。

あたし若い頃に、あたしらの少し前の世代を象徴する事件として「連続幼女殺人事件」があって、あたしらの後の世代に「酒鬼薔薇事件」があって、あたしら世代はその狭間で、世代や時代を象徴するような何かは起きるのか、について色々と考えていたら、だいぶ大人になってから同世代女性が主人公の2件の「毒婦事件」が起きて、あー、これか、と思って、だいぶ事件関連の記事や書物に目を通して、その時に自分のこれまで、いま、これからについて思いを馳せたわけで、それは40代を生きるのにだいぶ役立ちましたな。
なんてことを、速水さんの本読みながら振り返っていると、小さいニュースでしたが、川崎市で51歳女性(ということは1972年生まれ)がマッチングアプリで出会った男性(年齢分かんないんですけど、おそらく同じぐらいか少し上ぐらいですかね)とホテルに行き、睡眠薬を入れたコーヒーで眠らせた隙に財布から現金「1,000円」を奪って捕まった事件が起きました。

男性に睡眠薬入りのコーヒーを飲ませ・・・金を奪ったか 51歳女を逮捕 神奈川・川崎市(日テレNEWS) - Yahoo!ニュース

なんとも、団塊ジュニア世代のある側面として哀愁と黄昏が詰まっている事件がこのタイミング、木嶋佳苗さんや上田美由紀さんほどのスケールでないにしろ、どうしてこの本読んでる最中に、こういう事件が目に入るのか…、これは考えろということなのだと受け止めました。

この事件の哀愁と黄昏要素は色々とあるんですけど
・50を過ぎて、マッチングアプリで色欲を満たしたい男の気持ちと現状
・50を過ぎて、マッチングアプリで金を騙しとる相手を探す女の気持ちと現状
・女性とデートするのに財布に1,000円しか入っていない男の現状
・うまく睡眠薬で眠らせて財布を開けて1,000円しか入ってないことを確認した時の女の絶望
・それを警察に通報する時の男の気持ち
などなどを想像しつつ、脳内では田原俊彦の「哀愁でいと」が流れる展開。

昨年出た岸政彦センセの「東京の生活史」という100人の生活史インタビュー集を読んでいると、同世代の上京物語、そして流浪の生活史を何人が確認することができますが、この事件、毒婦事件のようにノンフィクションライターによる背景解明などは期待できませんけど、その女性の歴史が知りたくなります。ワイドショー趣味ではなくて、同時代人のひとつの物語として読みたいんですが、いずれにせよ、同世代がアラフィス突入のタイミングで起きた事件として、記憶に残るものになりそうで、ここにも書きとめておきたいと思ってアップしました。

アラフィフになってみると、いろいろ分かることもあります。例えばバブル崩壊後の90年代後半に。当時団塊世代が50代に突入して50代男性自殺者が激増し3万人を超えたこととかも、それと同じような年齢になってみると、嗚呼そうかと。あたしは運良くそういう状況にはいませんが、右肩下がりの時代でも、自分の積み上げてきたものが(他者との比較ではなくて自分が納得できるという意味で)光る魅力あるものなのか、その後の自分を支え切れるものなのか、人生いつでもやり直しがきくとは言葉では言えるものの、もし現状そうでなければこれから立て直す気力も体力もなくなる初老の現状。

あたし20代の時に読んだか聴いたかしたんですが、人生を農耕の1年に例えて
「20代までに土を耕し、30代に種をまき、40代に花を咲かせ、50代に実を収穫し、60代以降はその実を食べて生きる」
と書いてあって記憶に残り、その後25年ぐらいそのイメージで生きてきたんですけど、だから上記の事件は「自分の田畑は荒れ放題で放置して食べるものがなくて、人から貰わなければならない」の一段階目の哀愁と「くださいと言うのはプライドが許さないので奪ってしまえ」という2段階の哀愁を毒婦事件で感じ、しかもそのプライド、30代までならまだしも50代になってもなお…、というダメ押しの哀愁を、この事件からは感じるのでした。

50にして天命を知る、のか。鍛錬は続きますな。

 

「有名性の平和利用」が「有名性の悪魔利用」に反転する理由は何だったのか3 サンソン後の最終回

今日は愛知県出張で早朝新幹線です。
さて松尾潔さんとスマイルカンパニーとジャニーズ問題、3回目の最終回を書いときます。興味のある3人に向けて。笑 というより、小山田君問題の時と同じで自分のこれまでの人生と思考の整理点検のために走り切っときます。朝の頭の体操です。

日曜日のラジオ、聴きました。これまで2回の投稿から想定していた発言内容ではありましたが、やはり松尾潔さんへの怒りが大きすぎて、氏への敬称を外している点も含めて、感情が言葉と声に乗ってしまっていましたが、山下達郎の心境を率直にお話になったとは思います。

そしてその後の惨劇…山下達郎のある意味誤解を恐れない、大衆や世間に迎合しない言説に大衆が寛容であるはずもありませんが、続けて書いてきたように、山下達郎と日本社会の幸せな関係は壊れ、菊池成孔言うところの「クリスマスに山下達郎竹内まりやの歌ばかりが鳴り響く、それは山下夫妻ファシズムだが、達郎の音楽に覆い尽くされるファシズムなら悪くない」と言った冗談も笑、もはや幻影となりそうです。

あたしはこの騒動と記事の連投で確認したかったことは「山下達郎だって、あたしらと同じひとりの人間で生活者である」ということ。達郎さん本人もそう言っていますけど、あたしらと同じく周囲の限られた人間との信頼関係と相互扶助で生きている、という事実の確認です。

あたしはツイッターやめて4年経ちますが、2009年にツイッター始めた動機は、40代の自主自律を目指すにあたり、著名なフリーでインディペンデントな創造家たちが、普段どんな生活をして、どんな事を考えているのか知ることでした。結論としては、あーみんな同じようなことで悩み苦しみ、身近な誰かに救いや癒しを求め、闘ってんだなというのが分かりました。そしてあたしが頼ろうとしていた全ての偶像崇拝🟰アイドルは幻影であり、期待は失望の母、自分の歩みは自分で責任をとれ、と、それは自分の経営者の道を開きました。

だからやめた理由も単純で、ツイッターが大衆化し、偶像を追い求め、何か特定のモノやヒトに頼って生きていかざるを得ない人たちが増えて、創造家や有名人の発言がその分不自由になっていき、あたしも目的は達成してあとは惰性でしたし、やーめた、ということでしたが、いまも山下達郎の偶像破壊にSNS界は魑魅魍魎状態でしょうね。

山下達郎という偶像を作り、影響力を持たせたのは、あたしを含む大衆のほうで、政治家や企業家みたいに、自らその影響力を狙って勝ち取った人じゃないんで、大衆側が勝手に期待して勝手に失望しているだけだという事実に、もはや誰も気づかないほど、山下達郎は巨大な偶像になりました。

この流れについて何がこうさせたかの本質を探るならば、その偶像山下達郎を持ってビジネスを加速度的に展開させようとした小杉親子の、特に2008年以降の原罪なのかもしれません。そのビジネス構造のどこかで、もう無理があったんでしょうね。達郎さんが最近「老人虐待」と自虐ネタにしてたのは、その兆候だったのかも。それで何かの「終わり」を先日から感じており、故に泣けるのでした。

1975年の不遇のバンドデビュー、さらに不遇のソロ初期、不遇を助けた男性コーラススタジオ職人仕事と人脈と経験、1978年の大阪ディスコ界でのbomberブレイク、徐々に増える観客動員から1980年のライドオンタイム、80年代前半の成長成熟期、デジタル革命からスランプに陥る80年代後半、ライブも減り竹内まりやの大ヒットとマニアに支えられる90年代前半まで、深夜番組「ダイスキ」や渋谷系での再評価熱、1995年のKinKi Kidsでのスランプ脱出、はっぴいえんど界隈の再活性化と復活、2008年のライブ再開、フェスで格の違いを見せつけリーマンと大震災などの振る舞いや発言の評価と再大衆化、SNSで偶像🟰アイドル総崩れ不在の時代に山下達郎の神格化、シティポップブーム、そして今。

この50年、達郎さんは変わってない、いや変わらないために変わり続けてきたと思います。

最後に「加害者性」と「開き直り」について。全て世の中で起きていることに、自分と無関係なものはひとつもないとあたしは思います。ジャニーズ問題に限らず国内外の政治、経済、外交、文化、環境、人権、すべてに自分は加害者であり被害者であるわけで、その全てに責任を負い正面から対峙する時間も体力も知性もひとりの人間が持ち得ることは不可能、ひとりの人間にとって、世界は広すぎるのです。

だから忘れるか開き直るかしかでしか自分の生活を成り立たせることはできない。世界平和を願うスケールは持てないという諦めと、でも隣人を愛することは出来る、それは未来に繋がってくれると良い、というささやかな個人のボトムアップ思考、達郎さんの言葉は、KCさんへの怒りの感情で多少揺らぎましたが、その視点はブレてませんでした。

はて、問題はそしてジャニーズに戻るのです。大衆の勝手な期待と失望を一身に背負って、70過ぎてズタズタに傷つけられながらも義理と人情、縁と恩の自己軸をブラすことなく、ジャニーズ一族に情理を尽くした達郎さんに、ジャニーズは何で報いるんでしょうか?

あたしなら、心動かされ、KCさんが当初提言したような記者会見、質疑応答、事実解明、被害者救済、再発防止、事務所の未来、全てに逃げずに正面から対峙しようと、前に動かそうと覚悟を決めると思います。それに充分な振動が起きたと思います。

破壊だけじゃなく、そういう「問題解決」の仕方だってある、山下達郎の晩節を汚してはならない、ジャニーズがそう思ってくれることを願うばかりです。

最後にあたしの山下夫妻評つぶやきをあげて
終わります。
お付き合いくださった奇特な方、ありがとうございました。笑

「有名性の平和利用」が「有名性の悪魔利用」に反転した理由は何だったのか2 日刊ゲンダイ読後まで

(前回の続き)KCさんの日刊ゲンダイの手記詠みました。まあ枝葉で違うところはありましたが、あたしの憶測、なかなか芯食ってましたかね。70点。笑
乗りかかった船ですから、帰宅電車制限時間50分の文芸鍛錬その2です。

KCさん、正直に事実を捻じ曲げずに感情を抑えて書いていることが伺える、良い文章でした。

この文章の肝(国語のテストでいう「この文章で一番筆者が言いたいことはどこか」的な(笑))は

「【義理人情】という言葉はたしかに重い。それはいいだろう。だが、その形は、時代にあわせてしなやかに変わっていくべきではないか。紙風船のように。」

ですね。
あたしはここに山下達郎にあってKCさんにない、またはズレがある「不易流行」への意識を見ます。

この文章には、肝心の、なぜ(混乱の予測可能だった状態で)世話になっている人たちへの根回しや配慮なく、メディアでジャニーズ批判(提言、とKCさんは表現)をしたかは書かれていませんでした。
パッと言ってしまい、引けなくなり、それが現在の状況に繋がっているのか、または最初から用意していて狙ったのか、いずれにしてもKCさんの文章から分かるのは、この状況「でも」ジャニーズを取った山下達郎とジャニーズ、あるいはスマイルカンパニーの結束に対するKCさんの「嫉妬」が見えます。

物事がこじれる時には必ずそういう感情的な人間模様が隠れていることが多いのは人生経験上分かることですが、ジャニーズを庇ったり守ったりすれば集中砲火を浴びることは間違いない状況でも、山下達郎松尾潔を捨てて、ジャニーズを守った、そのことへのショックですね。

なるほど、だからああいう(ある意味子供っぽい稚拙さを含んだ)ツイートになったのかと膝を打ちました。

KCさんはだから、そこの部分は書けなかった。ラブレターを人に見られるのが恥ずかしいのと同じです。

次は達郎さんが日曜日のラジオで語るそうです。大瀧さんが亡くなった後、山下達郎は誰か関係者や影響を受けた人が亡くなるといつもはレクイエムプログラムを流すところ、それを行わなかったのですが、「はよやれ」「1年間ずっとやれ」「これまで庫出ししたことのないのよろしく」などといったナイアガラ酔狂たちからの怒りのハガキに対して「わたしと大瀧さんの関係は複雑であり、簡単に追悼を言葉にできることではないし、人にもその関係を説明できませんし、またそれを説明しようとも思いません。自分の家族の関係を他人に簡潔に説明するのが難しいように」と突き放します。今回の騒動も同じように対応するんじゃないかと思います。その時のコメントがYuotubeにあるので、リンクしときますが、名口上ですね。

https://www.youtube.com/watch?v=3SgoQKSlw4M

この一連の騒動で、あたしが細野晴臣を追求し出してから30年、人生の師として、深いところで、ジャパニーズポップス四天王と言われるうちの3人、細野晴臣大瀧詠一山下達郎の在り方を観察し、分解し、そして自分の生活に落とし込んできて、3人と同じように弱小インディーズを好き好んで経営するに至ったのかが、50手前にして自分でもよく分かりました。それが70点の憶測で改めて自己証明されました。

あたしはこの騒動から3つの話を思い出します。

ひとつは、昔、親が共産党員だったという60代(当時)の方から聞いた話ですが、運動の崇高性を盾にろくに働かず活動ばかり行い、家族は木賃アパートの狭いところで食うや食わずで肩身を寄せて生きている、ところが親父は夜な夜な党員仲間を連れてきて、酒盛りに麻雀で、部屋の隅で家族は息をひそめていた、という話。世界平和を願う前に隣人を愛せよ、の話。業界の悪しき慣習を壊すためなら、身近な人を犠牲にしても仕方ない、のか、考えます。

そして二つ目は「加害者家族」が「被害者家族」と同じか、またはそれ以上の生きづらさを抱える日本社会の話。「身内をかばうのか」と声高に叫ぶ人は、身内が犯罪者という人の苦しみをどう想像するか。そしてジャニーズとスマイルカンパニーがどのぐらの「身内」なのか、それは上述のように達郎さんは語らないでしょうけど、どんな批判を浴びようと理解されまいと、加害者家族に寄り添う義理人情の強度と覚悟。

最後に、鈴木邦男さんに教えてもらった「アウトロー五箇条」話です。以下五箇条。

(1)人間的スケールが大きいこと
(常識はずれの器の大きさだからこそ、法の枠内に納まりきれない)
(2)自ら課した「掟」を守る
(自分をヒーローにしない。日陰の存在という恥じらいを持つ。法は犯しても決して仲間を裏切らない) 
(3)無欲恬淡
(金遣いはきれいに。しかもけちけちしない。名誉や権力を求めない。既存秩序の破壊に徹する) 
(4)時流にこびないヘソ曲がり
(流行に乗ればその途端、反逆は商品に堕落する)
(5)反逆者たること
(反権力、反体制の意志こそが大切)

おそらく達郎さんの対応に失望している多くのファンの人は、普段の言動からこのアウトロー5カ条のような人間だと思っていたところ、特に3と5に今回反するじゃないか、と思っているのではないかと思わなくもありません。

でも前の投稿でも書いたように、50年の時間軸で考えてみれば分かることですが、達郎さんもジャニーズも、芸能興業界では圧倒的弱者だったんで、ジャニーズも達郎さんも80年代にようやく独立したポジションを「共に」獲得していったんですから、戦友、仲間なんですよね。お互い今となってはある意味権威になりましたけど、達郎さんの意識としては3や5のような権威に擦り寄ってる意識は皆無で、ただ単に2に徹しているだけなんじゃないでしょうか。
そしていまや、加害者家族批判側がマジョリティ、寄り添うのがマイノリティ、だから、変節してるのは達郎さんじゃなくて、失望した側なんです。まあでも音楽が好き、ってだけで生き方や在り方まで観察してない人には、当然の反応なのは分かりますけどね。

ということで、日曜日のラジオ、この流れで予測できるので、正直あまり聞きたくないですな。おそらく日曜日、余計なことを言わず(言い訳や被害者意識を出さず)、ひとりで背負い、ある意味引退も覚悟でこの騒動と対峙するんじゃないでしょうか。もしそうなった時、KCさんは何を思い、個人的な一瞬の感情の揺れと迂闊でぞんざいな対応で壊してしまったものにどう向き合うのでしょう。

中学生の時に聴いたレベッカの歌を思い出しますな。
「壊してしまうのは簡単に出来るから、大切に生きてと彼女は泣いた」
日曜日、きっと泣くなあ。

「有名性の平和利用」が「有名性の悪魔利用」に反転した理由は何だったのかしら

山下達郎さん(というかスマイルカンパニー)と松尾潔さん(以下KCさん)の契約解除の件が凄い炎上してるみたいですね。実際どういう経緯での契約解除の道筋だったのか分からないので憶測の域をでませんけど、散々細野晴臣大瀧詠一山下達郎的な「在り方」を、ここでも散々賞賛してきたあたしが、この件に何を書くか楽しみに、またはこれを機に転向を期待している人も3人ぐらいいるかもしれないので(笑)感じたことを帰宅電車内で一気に書き殴っておきます。制限時間50分。
 
 まず山下達郎とジャニーズの関係というのは、達郎さんのビジネスパートナーとして70年代から二人三脚の小杉理宇造さんという人が、デビューする近藤真彦のディレクターに就任した時から始まり、その後キンキキッズや嵐、最近では木村拓哉に曲を書く流れとなるわけで断続的に40年近くになると思いますが、ジャニーズのスマップ派閥と嵐派閥の抗争の中で、創業家(嵐派閥)を支援する小杉さんがスマップの解散騒動の時、中森明菜の金屏風会見の時と同様に剛腕で事を進めようとして、その影響でおそらく引退、一線を退き、その後小杉さんの後釜に就いたスマイルカンパニーの社長は元ユニバーサルレコードの社員ですから、達郎さんとジャニーズに定常的な利害関係はないでしょうし、今回の件は、まずもってユニバーサルサイドのジャニーズ界隈に迷惑がかからないようにスマイルカンパニーとして対処する、ということでのことだったろうと思います。
 
そんで、松尾さんのやり方が
①ジャニーズ批判をスマイルカンパニー所属でやれば、当然軋轢や問題が出て、周囲に迷惑がかかることを分かっていながら批判を繰り返し
②おそらくスマイルカンパニー側からの再三のお願いや警告があったにも関わらずそれを無視し
③そして今回のツイートも、このような騒動になることを分かったうえであえてやっている
ことが明確なので、余計にこじれたなという風に思います。
 
勿論昨今のジャニーズ批判はあって当然ですし、再発防止や被害者救済がうやむやにされずに正面から行われることを願いますが、KCさんには、そのジャニーズ問題の前に「山下達郎という人間への個人的恩義と信頼関係性」があり、それをぞんざいにしているところについて、達郎さん側がジャニーズの問題云々の前に、これはもう関係継続はダメだという風になったんじゃないかというのがあたしの見立てです。
 
なせその見立てなのかは、あたしこれに似た経験があるんです。Aさんという人に頼まれてBといううちの割と重要で力を持った取引先を紹介したんですけど、AとBがもめました。結構派手に。(笑)それで、そのもめた内容如何に関わらず(例えばBが一方的に悪かったとしても)、あたしの立場からはどうするかというと、BにAを紹介したことを謝罪し、Aとの関係は切るわけですよ。
 
なぜか。だってあたしがAにBを紹介したということへの感謝、あたしがBとの信頼関係構築した努力への敬意みたいなものがどこかに吹っ飛んでズタズタにされてしまっているわけなんで、Aの主張がなんであれ、そんな人と付き合い続けても、また何かに利用され、かき回されるだけなのが見えるからです。(もともとAにはそういう、ある意味の駆け引き上手な政治気質があったことに気付いてはいたのですが、それでも困っているならと紹介したあたしが、そもそもバカでした。)
で、Bとの取引はそれで一時期厳しくなったのですが、元に戻して現在も堅調に続き、雨降って地固まる的に帰着したのでした。
 
Aさんはもめる前に静かに撤退すべきだったとあたしは思いますよ。どんな理由があれ、紹介者に迷惑がらかからないように配慮するのが最優先ではないのかな、と。
 
はて、達郎さん(とスマイルカンパニー)はここでいうあたし、Aは松尾さん、Bはジャニーズに置き換えてみて欲しいんですけどね。
 
「世界平和を願う前に隣人を愛せよ」という言葉があるわけですけど、お世話になって、恩義がある人との歴史や信頼関係を「ぞんざい」にしてでも(というかそれを逆に利用する形で)何か自分の主張や正義を突き通す、というのは、スジが違うわけで、あたしがKCさんだったら、まずスマイルカンパニーを自ら辞してから、ジャニーズ批判しますし、スマイルカンパニーや達郎さんも批判したいなら、その独立した立場で批判すればよいだけです。社員じゃなくてマネジメント契約なんですから、どうして物事を複雑にコジレさせようとしたのか、またはそれを狙ったのか、ケミストリーを売り出す時に(自社以外の男性アイドルは潰せと噂されていた)ジャニーズに邪魔された怨念があるのか(苦笑)、定かではありませんが、解せません。
 
一方で、達郎さんですけど、70を過ぎて、もう充分財産もあるのに、なんであんなにイマも働いているかというと、それはインディーズであるところのスマイルカンパニー及び関係スタッフを食わせるためでもあるでしょうし、昔から世話になっている人(ジャニーズ含む)の頼みを断れない、という義理堅さが大きいんだと思います。
 
みんな山下達郎細野晴臣を大きな権威や権化で何でも意のままだと勘違いしてますけど、長い時間をかけて大手から独立したインディペンデントなポジションを確立してきたわけで、ビジネス規模から言えば属人的で弱小ですからね。自分の力と努力で業界内の独自のポジションを獲得して、しがらみや圧力の少ないところで、手触りで自分の表現を追求してきた人たちなんです。
 
だからそういう長年の信頼関係がビジネス構造の中心に当然なってくるわけで(うちもそうですけど)、あたしがAと関係を切ったように、こりゃもう、このままではスマイルカンパニーのステークフォルダのガバナンスのバランスが崩壊してしまう、弱小だからすぐに吹けば飛んでいく、という危機感から今回の契約解除となったとあたしは思います。
 
「現実的理想主義」という言葉がありますけど、理想と現実を両方成立させたところで仕事を成立させるバランス経営が、特に弱小インディーズには重要なんです。昨今は理想ばっかり語って現実を蔑ろにする口だけタイプと、現実(数字)しか追わず理想のない拝金タイプが2極化する昨今において、モノゴトには表があれば裏があり、右があれば左があり、前があれば奥があるという社会の複雑性に、どうしてこうも人々は対応しきれなくなっているのか、不思議でなりません。ながいものにまかれるか、弾き出されて反発するかしかいなくなり、複雑性と粘り強く対峙する人が、どういうわけか減り続けている。
 
達郎さんがデビューした70年代の音楽を含む「興業界」は、反社との繋がりも含めて、まったくまともな人が立ち入る世界じゃなかったわけです。パートナーの小杉さんと、その中で共に清濁併せ飲んで、自分の理想(好きなだけ納得する音楽を作る)を実現するために、自分のギリギリの判断範囲で(心は売っても魂は売らないという名言通り)現実に対応してきたわけで、その「まともじゃない世界」が、90年代の暴対法の成立以降、反社勢力が衰退し地下化する時代の流れにあわせて、芸能事務所もGS世代以降が経営をするようになるとクリーン化していき、例えば最近のアミューズとかみたいに、立派なコンプライアンスを維持する上場会社みたいな感じになってきて、いまの漂白芸能興業界になるわけです。
 
ジャニーズは、そのまともじゃない時代の残骸として残存し、耐久年数がきて現在のような状況になっている中で、達郎さんはまともじゃない時代からずっと付き合ってきたわけで、差別や偏見の世界もそうなんですけど、達郎さんの50年の音楽生活の中で、その時々の「歴史的限界」(ここで言うなら「まともでない世界と付き合わざるを得なかった時代背景の限界)というものや、その関係性の歴史への想像力もなく、そういう事情もへったくれもない感じに結構な野暮さを感じます。日本のエスタブリッシュメントの一角であったKCさんにこの間何があったのか。。景山民夫さんを彷彿とさせますが、はて。
 
先日タモリギャラクシー賞受賞会見で「最近の(自分の)過大評価にとても苦しんでいる」と言ってました。達郎さんも昨今同じ気持ちなんじゃないでしょうか。
 
達郎さんは高校時代に政治には絶望し、音楽に自閉し、その中で自分の幸せを追求してきた、政治で社会を変えることはできなくても、自分の幸せを追求することでもしかしたらそれで他の誰かを幸せにすることができるかもしれない、というささやかな態度で生きてきたんじゃないかとあたしは思います。それがある意味普遍性を獲得して、有名性が肥大して、今回のような出来事に繋がってしまった。まあ美輪明宏言うところの「良い事と悪い事は連れだってやってくる」の一例ですね。
 
確かに政治の季節の挫折を直接体験した世代以降、「大上段から社会を変える」という視点を欠く世代(あたしも含む)への最近の社会の厳しい追求があるのは事実だと思いますが、そりゃでも、時代の限界、歴史的限界もあったわけです。その中で、現実的理想主義的にインディペンデントを追求してきた達郎さんの歴史、努力、自負、矜持、誇りが毀損されるのはいかがなものか。
 
でもあたしも50歳近くまで生きてきて色んな人見てきましたけど、左右に関わらず「社会を変える」などど大上段に振りかぶる人の(一部の有志を除く)ほとんどが、実は裏にある強烈な自己実現欲求や承認欲求。故に傲慢で繊細さのない立居振舞いで(最近の議員立候補者ポスターの一部の魑魅魍魎を見てると分かりますが)、いろいろいなものを「なぎ倒していく」だけの人々であることが分かるわけなんです。というか60年前の「政治の季節」だって同じで、「バンドやろうぜ」と「ブンドやろうぜ」は同じメンタリティだった、という名言もありますけど、みんな社会変革に燃えていた、という体(テイ)でモテたい、一旗あげたい、とやってたわけで、まあまあ人間の本質ですね。
 
いつぞやのラジオで「ブラックミュージックを世に広めた、まさに有名性の平和利用」と達郎さんをベタに賞賛していたKCさんが、逆に「(自分と達郎さんの)有名性の悪魔利用」にみずから手を染め、既に、そしてこれからもこの件でいろいろなものがなぎ倒されていくだろういう暗澹たる光景を見るのは辛いすな。
 
当然ですけど、そういう「なぎ倒しの作為」とSNSやインターネットって親和性高いんですよ。耕運機で土や植物の細かい状態なんか見ないでガンガンなぎ倒していくのに似ていて、目の前に存在する人やモノとの手触りと温度がある距離にいれば、つまりオンラインで無ければ、なぎ倒しはできないですからね。
 
あたしは10年以上繰り返し書いてますけど、手触りと温度の中で、今日も丁寧に自分の田畑の雑草を抜き、肥料と水をまく。それを「日和見」とか「ノンポリ」とか言うのなら、それでも良いと思いますよ。
 
だからって社会を変えることは諦めたり冷笑するわけじゃないです。ただし変えるには3代100年かかる認識なんで、明日どうこうなる話じゃないんで目立たないだけ。地球が自転してるのが分からないぐらいの感じで行動する。だって100年持続させるにはそのぐらいじゃないと無理は続きませんよ。
 
ダメなんですか、自分の現役でダイナミックな変化を得ないと。
 
ということで、ジャニーズを潰せ、達郎を潰せ、という気配を感じてかどうか、たまたま土曜日にこの本を図書館で借りてましたが、タイムリーすぎて眩暈がします。笑、
 

坂本龍一さんを偲ぶ

年明けからある意味覚悟していた坂本龍一さん(以下教授)の訃報です。レクイエム残しておきたいと思います。
高橋幸宏さんのレクイエムの時に書きましたが、YMO世代でないあたしにとって教授の音楽のリアルタイムは、たぶんゲイシャガールズ(ダウンタウン)だったんじゃないかと思います。
これは何度も書いてますが、自分が物心ついた時に既にポップス界の権化となっていた「ユーミンタツロー、サザン」を若気の至りで意図的に遠ざけたために、個人的に評価が遅れた構造は教授についても同じで、90年代中盤からの70年代和モノ漁りで、改めてYMOに至る流れを知る中で教授の凄さに気付くというパターンでした。
先日、ライブハウスロフトの創始者平野さんのロフト史を読んでましたが、教授は第一号店となる(千歳)烏山ロフト(ただこれはライブハウスではなくて音楽喫茶&BAR)の常連で、近所の音大の女学生のレポートを代筆する代わりに酒をご馳走になっていたという逸話が残されてます。それが1973年頃ですので、その同じころ、達郎さんは大瀧詠一さんに呼ばれてはっぴいえんど一味に加わっており、その後、晴れてライブハウスとして開店する荻窪ロフトと次の西荻ロフトあたりで教授と達郎さんは1974年頃に出会い、その後達郎さんが大瀧さんに教授を紹介し、そこから教授がティンパン集団に入っていくという、どうもその流れが正史のようです。
烏山ロフト以前の教授は、新宿高校時代から学生運動に傾倒し、土地柄、新宿ゴールデン街(その頃は寺山修二、唐十郎大島渚若松孝二らを筆頭とする新宿若者文化が大輪を咲かせている時期)に入りびたるようになり、そこで友部正人さんと出会い、芸大に入学後に友部さんのステージを手伝うようになります。あたしはその友部さんから音楽業界にに繋がっていくのかと思ってたんですけど、どうもそうじゃないことを知ったのはついこの間。歴史というのは奥が深いですね。
ここまでの前フリを書いたのは、教授のユニークさはこの出自にあると、あたしは思っているからです。
はっぴいえんどーティンパンアレーを中心とする日本のロックポップスのイノベーター軍団は、主に港区や世田谷区を中心とするエスカレーター私立に通うご子息ご令嬢を中心とする文化を中心としているわけですけど、おそらくものすごく排他性の高かった(音楽)エリート選民集団に、大瀧さん(いわば東北の星))も達郎さん(いわば城北の星)も教授(いわば新宿の星)も、その才能と実力だけで加わっていくというのが面白いところです。
だから、上述のように、達郎さんと大瀧さんを介して、ティンパンに加わっていくという流れも納得という感じですが、達郎さんは竹早高校、教授は新宿高校、ふたりとも政治の季節を高校時代に直接的に体感しているわけで、同時期に、そういう政治と若者の喧騒を横目に、余暇と余金の私立高校のティンパン集団は、軽井沢で夏休中ダンパで演奏していたってんですから、そのコントラスト。特に達郎さんと教授については、後でよくティンパンに合流したなという感じがしますが、70年代後半の活動を見ると、やっぱり達郎さんと教授、達郎さんと大瀧さん、教授と大瀧さんの活動というのは、ある意味ティンパンアレーの側面史として、少しやっぱりエスカレーター私立の皆さんとは異質なのがよく分かります。
あと加えて、教授の面白さを見るならば、それはアカデミックとストリートの両性具有感のユニークさです。芸大出というアカデミックワイズな出自にも関わらず、新宿高校時代に培ったストリートワイズ感覚も一方で持っている、小泉文夫先生の講義に熱心に聴き入りつつ、ノンアカデミックなロックポップスにも素直に驚く、というより、そんなこと関係なく、属性に関係なくその才能をみとめ、学んでいく、という人間性が教授の礎を作っていったということなんだろうと思います。才能と人間性、訃報で多くの人がその人間性に触れていることでも分かります。。
最後に教授の遺作として、音楽作品ではなくラジオ番組のアーカイブスをリンクしておきたいと思います。ゼロ年代にNHKで行われたラジオ音楽講義、大瀧詠一をナイアガラ大学教授として招いて、教授と川勝正幸さんが生徒に扮して、50年代のロックンロールを学ぶという企画ものです。冒頭10分の会話で既に、大瀧さんと教授の長年に渡る信頼関係が言外から伝わり、ユーモアと知性に溢れた会話が展開されます。
この番組の中に達郎さんはいませんが、「属性異物」として、エスカレーター私立出自の集団に実力だけで入り込んだ大瀧詠一坂本龍一山下達郎の3人の凄さの一端が、この会話を聞いているだけでよく分かるという構図になっていると思います。
お二人の素直さ、無理のなさ、自己相対化と俯瞰の知性、いわば「自分を含む風景をも俯瞰できる」という知性の存在こそが、1970年以降の日本の大衆音楽のレベルを上げるのにどれほど貢献したのか、このラジオを聞きながら(もう100回ぐらい聞いてますが(笑))改めて思うのであります。
このラジオ出演者は川勝さんも含め、誰もいなくなってしまいました。。。謹んでお悔やみ申し上げます。